感情のもつれ。量子もつれ。もう辛え。つれション。ションベン。ベンジョンソン。ソンフンミン。民宿。宿業。郷ひろみ。ヒロミ郷。豪北沢。これはツヨシ北澤となり、澤穂希。ほまれ。こういうのが思考のもつれ。連想に次ぐ連想。もつれとはこういうこと。だよな。最近言葉の意味に厳密になっていて、ふとン? どういう意味だ、と考えるとって夢の中で田中に百円を借りることさえ避けられた。断られたというか避けられた。あと母ちゃんになんかブチギレてしまっていた。どうしてだったか、とにかく机をバンバン持ちあげて叩きつけてって感じでいると、屋根の上をぴょんぴょん飛んで渡ってる男がいて、そいつはみんなからバッシングされるかと思ってたら意外と父ちゃんなんかもオオいいもん見た、みたいな感じで集まってきて、そこにたっくんもいて上から目線でなんか言ってきてイラッ。そんな夢。紳助さんと遠藤ココリコのがいて、他に特に覚えてることはなし。寝起きだと思考の中に夢の光景が差し挟まれがちということが分かった。つまり思考と記憶、想像の中を夢は横断しているということではないだろうか。夢はそういう存在。そうか、思考と記憶と想像の中を行ったり来たりしてるからあんなに支離滅裂っていうかおもろいことになるのか。そのように作るのもよかろうっていうか、それもアリ。とはいえ物語の構造の中に収めることは忘れずにいこう。というのもそれでつまらん物語というのはこれまでいくらでも作ってきたから。理路整然とした思考性をおれは排除しながら物語を作っていたと思う。できるだけ考えずにって。そうなんだわ、なんかもっと脳みそをちゃんと絞りたいのだが、今一つ絞り切れずに物語の外殻を考えていたと思われ。外殻にあらず。骨格ね、骨格。だからさ、ここは一つグッと、骨格に取り組もうと思いますわ。どう思います? いいと思います。

ではここから対話をしましょう。誰かは分からん。内なる僕? それとも外の高次の僕? ハイヤーセルフ? 守護霊? はたまた宇宙意志? 星の意志? どうでもいいな。結局その正体は分かるまい。自分にはとても成し得ないようなことを成したと、電磁気力の発見者マクスウェルは言ったとのことだが、おれもそういう風なことを成したとして、その正体は一体何者なのだろうか。おれはそう、まさかおれがこんなことを成したのか? ってことやり遂げたことあったっけ? おれがこれを? みたいな。いやあんまないかも。ってかないかも。おれはおれが好きで、おれに自信があるからか? 違う。ちゃんと身の丈にあった努力、目標に対してこれはやっておくべきだという努力をしているからそうだ、あでも泊さんとデートとか実際、うちの嫁の美人さときたら、んでもそれに見合うだけの男磨きはやったわけでそこには何のなんていうか背伸びも矛盾もラッキーもなく、ただひたすらそう、別に何か得体の知れない力が介入してきたとかは思わないわけで。でも出会いとか、人生の導かれとかそういうことには感激するけど、こと能力や達成に関しては、実績についても(ほとんどないけども)これは俺でない何者かがやったことだと感じたことはない。即興性、偶然性を活かせば、それをおそらく感じられるのだろうそう偶然性を創作上も生かすのだ

とはいえ偶然性とはどんなものだろうか。それが登場人物が動き出すというやつなのか? そうかもしれない。作っていけば分かるだろうか、分かるだろう。待っているその時を。うおーってなるんかな。まあいいか。今はそう、そういうこと。登場人物が動き出すのは当たり前なんだろうか。それともそうなった時にはもう……。待て待て。動くまでどうするか。動くってどんな感じなんだろうか。それを制御しなければならないとも薄井ちゃんは言ってたが、今のところ動き出す気配もない。ちょっとだけ薫子は動いた気がする。あれはたしかに動いたような? でももっと明確に動くんじゃないかと思うわけ。それをひたすらただ俺が追いかけるみたいな。追いかけるモードになった時にちゃんと追いつけるように、ああ模写やら、これをやっているわけで、あと語彙ね。語彙を増やすやつをやっているわけでつまり日々の鍛錬を。あと読書もそう。ちゃんと文章というものを身体の中にバンバン入れておくという。これに一本化することで今後おれもきっとそういう状態、作家、文豪として作品作りに参加できるのだろう。平山夢明は執筆がきつい、あんなものは人間のする仕事ではないと言っていたらしいが、たぶんそれはそこ。いやきっと奴隷みたいになるんだろう、ある種の創作の奴隷。だから人間がする仕事ではないって感じになるのかもしれん。あの人の描写独特でおもろいもんな。ラノベっぽいけど、確かに。竜の住むところの人、名前忘れたけど、あの人も結果的にラノベっぽかったな。遊び心が弱いからだ。妙に深刻なもの、文章力のわりに妙に深刻なものがラノベ臭を出してしまうのかもしれん。どうにかもっともっと遊び心だ。彼らにとってホンホンの消滅は悲しいことなのだろうか。よくある悲しみの一つで、引きずることではないのかもしれない。また消滅してしまったみたいな。なんか深刻に描くべきではない。が、深刻にしないとって、一人称で書けばそこはクリアできるのか? ロダンに対する怒りだったり不満だったりも描けるのか?

こすむとへりとか