四間門樋という輪之内町にある史跡なんですが、門樋とは何なのかよく分からないので調べてみた。
すると門樋ではなく樋門(ひもん)というものがあるようだ。
樋管(ひかん)とかも呼ばれるようだが、これは堤防を横断する水路の事のようです。
それがどこにあるのかあったかわわからないがそういう物がここにあるということです。
揖斐川又は長良川が氾濫するとこの辺りは1.6m浸水する可能性があるということは以前この辺りまで浸水したのでしょうか。
中江川という川を渡ってみましょう。
川の水は濁ってますが汚いわけではなさそう。
濃尾平野の平らさがよりわかりますね。
昭和30年3月に完成したとは古いですね。
達筆過ぎてよく分からないが「志あんひ波し」と書いてあるように読み取れるがこれが橋名なのかな。
橋げたを見ると細くひ弱なで橋自体も薄ぺっらく見えます。
昭和20年代後半はこのよう作りでも問題なかったのでしょう。
これじゃ大型トラックなんて通るのは非常に危険そうだね。
時代を感じる良い橋でしたって四間門樋のことはどこへ。
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