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スマートフォン、やーめた。

スマートフォンとやらを使い始めて2年経ち、違約金が発生しなくなったのを機に、以前のパタパタ携帯にしました。

バッテリーは1日持たないし、メールは打ちにくいし。

久しぶりにパタパタ携帯使ったけど、こっちの方が断然使いやすい…。こうして世の中の新しい技術から取り残されていくんだな。
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まだまだカセットテープが主流だった時代に、新しいモノ好きの父がMarantzのCDプレーヤーを買い、それと一緒に約60枚程のクラシック音楽のCDが我が家にやって来た時のインパクトはいまでも忘れない。

 虹色に光り輝くCDの表面を見たとき、何ともいえぬワクワク感を感じながらも、子供ながらに「こんなものから、どうやって音が出るんだ…?」と思ったものだ。

 その後プレーヤーは故障してしまったが、60枚のCDは今でも実家にあって、時々父が近所迷惑も顧みず、窓を開け放ったまま大音量で聞いてる。 (大音量のカーステレオで騒音をまき散らす若者の車を時折みかけるが、それとあまり変わらない。)


 先日自宅にやってきた、「寺垣スピーカー」で再生するために、そのうち7~8枚を借りてきた。(写真)

 「クラシックのCD、貸りて行っていい?」と私が言うと、快諾してくれた上におまけに「浪曲:清水次郎長外伝」を付けてくれた。ケースの裏面に「ザ・ダイソー」と書かれているので、どこで買ったかは明らかだ。

父曰く 「これがよー、腹抱えるほど笑えるんだ!」と。

自宅に戻って借りてきたCDをしげしげと眺めたとき、クラシックよりも次郎長の方が気になって、聞きたくなってしまった。

虹色に光り輝くCDから流れる浪曲は、どんな音だろう(笑)

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■生活の中の一部だったテレビ

ここ半年くらいでめっきりテレビを見なくなりました。

大磯に新居を構える前は、五反田のマンションに仮住まいをしていたのですが、リビングにテレビが置いてあったため、自宅にいるときはほとんどのあいだ、テレビがつけっ放しになっていました。

朝起きたらまずはテレビをつける。
家に帰ったらまずテレビをつける。

そんな生活を当たり前のように続けていました。なぜそうするのかは分かりませんが、まるで小さなころから教え込まれた癖のように、そうしていたのだと思います。



■受け取るだけの情報に違和感を覚え始める。

いつのころからかはハッキリと覚えていませんが、テレビを見ているときの私は、常に番組の内容に対して「怒り」を覚えるようになっていました。自分の気持ちを振り返って、テレビに対して覚える「怒り」の部分を書き出してみると、以下のようになりました。


・報道番組なのに、ニュースの本質に迫るような分析がされていない。
・一方的な視点からの報道で全てを語っている。(多角的な視点からの分析がなされていない。)
・討論番組で議題と全然違う方向に話が進む。(身勝手な主張を延々と繰り返す人がいる。)
・バラエティやクイズ番組の番組進行に工夫がなくて、先の展開が読めてしまう。
・視聴者を無理やり感動させて泣かせようとする。
・ドラマの脚本が稚拙で、役者の演技も下手。
・たいしてスゴいとも思えないのに、『どうどう?凄いでしょう?』と押し付けるような演出とともに、『えー、凄い!(エキストラの声)』といったような茶番が繰り広げられる


自分自身でもあまり気が付いていなかったのですが、こうして書き出してみると、報道番組・討論番組・クイズ番組・ドラマ・バラエティに対する怒りが多いことが分かります。スポーツ中継やドキュメンタリーなど、疑いようのない事実を扱っている番組には、それほど怒りを覚えません。おそらく、誰かの意図によって演出や筋書きが決められた番組に対して、強い「怒り」を覚えるのです。



■テレビとの決別

「そんなに怒りながらテレビを見るなら、テレビなんて見ない方がいいのではないか。ストレスが溜まるだけだ。」 と相方に言われ、「ごもっとも…」と思い、大磯の新居に引越をしたのを機に、リビングにはテレビを置かないことにきめました。一時は「いっそのことテレビなど捨ててしまおう」とも考えたのですが、テレビ自体がそもそも相方の所有物であったのと、真剣勝負のプロ野球やJリーグなどの試合は観たいし、災害があった時に情報を得る手段になるので、結局は2階の書斎の隅に置くことにしました。それ以来約半年間、スポーツ中継以外はほとんどテレビを見ない生活を続けています。



■テレビと他のメディアとの違いを考える

テレビから離れて冷静になって考えると、なぜテレビに対して怒りを覚えるのかが、もう少し深くわかるようになってきました。

新聞やインターネットでは、自分の興味がある情報だけをとらえて得ることができます。新聞の場合を例にとると、紙面全体をパッと眺めて興味のある表題をとらえては深く読み、逆に興味がなければ一文字も読まずに読み飛ばします。それと違ってテレビはとにかく一方的に情報が流れてくるので、テレビを見ている間の情報は嫌でも全て受け取ってしまいます。また、テレビ番組の中には、人間の興味を引き付ける為の細工が沢山してあって、テレビを付けているけども見ていないといった場合でも、効果音やパッと切り替わる画面などで、人間をテレビに振り向かせようとします。

見たい番組やチャンネルを選ぶことができますが、たとえばニュース番組の中でも、このニュースは興味ないから次のニュースを見ようと思っても、ニュースキャスターは読み飛ばしてくれません。バラエティ番組を見ていて、このタレントは嫌いだから見たくないと思っても、画面からは消えてくれません。この役者、ヘタクソだなぁと思っても、来週から別の役者に変わるわけではありません。少なくともそのドラマが終わるまではどこかに出続けるでしょう。

AKB48のような青臭い集団には全く興味がないのですが、CMでは「これでどうだ!」とばかりに元気一杯に商品を売り込む姿を強制的に見せられます。あんなキャンキャンした女子が48人もいたら、うるさくてたまらないと思っているのに、そこかしこのチャンネル、番組で見かけてしまいます。

要するに、見たくもないモノまで、強制的に見せられるのです。



■危機感を演出するテレビが、無用に不安をあおる。

テレビのニュースで恐ろしい事故や常識外れな事件がセンセーショナルに伝えられると、これまで実生活で見たこともない仮想人物(身の回りに潜む怖い人、怪しい人)が自分の中に作り上げられてしまって、知らず知らずのうちに見えない不安と戦っていたように思います。広い日本の一か所で起こった事件であるにも関わらず、「最近物騒になってきた。我が家の近くでも変な奴がいたらどうしよう。」などと不安になるのです。

ところがテレビから離れてよくよく身の回りを見て思ったことは、これまで35年間生きているなかで、そんな悪い人間を一度も見たことないということです。自分の目の前に現れる人たちは、とてもいい人ばかりで、ときには意見の対立もありますが、テレビのニュースで大々的にマイナスイメージをもって報道されてしまうひとなど、一人もいないではありませんか。ましてや犯罪者など一人としていません。

これまで私が抱えていた社会に対する不安や不満は、テレビを通して見る社会に対する不満や不安であって、現実の世界で生活する上で実際に感じる不満ではなかった事に気がついたのです。

テレビで見たことや聞いたことによって、これまでの私の経験や勘が打ち砕かれて、自分自身を信じることができなくなってしまっていたのです。世の中にはこんなに悪い奴がいる。こんなにいい加減な仕事をしたことによって多くの人に迷惑をかけている奴がいる。それを我こそが正義と言わんばかりに追及してえらそうな顔をしている奴がいる。そういう負の連鎖で上げ足の取りあいみたいなことを延々と見せつけられ、心身状態としては良い状態を保てるはずはありません。



■テレビを辞めたことによって得たもの。

そう思うと、なんだかテレビに奪われていた日々の生活を自分自身の手の中に取り戻したようにおもえて、なんでも自分自身の目でみて、手で触って体験したことを大切にするようにしたいと考えるようになりました。

それ以来約半年間、スポーツ中継以外は全くテレビを見ない生活を続けているのですが、自分の中で何が変わったかと言うと、まず、社会に対する不安が薄れて、世の中を信じることができるようになったように思います。

そのほかにも

・自分自身の考えや勘を大事にするようになった。
・目の前で起こっている事の意味を自分の頭で考えて整理するようになった。
・解っていることと解ってない事がハッキリするようになった。
・解らない事は自分で調べる癖がついた。

こんな効果が見られるようになりました。


社会や世の中に不満や不安を感じる方。

テレビを見るのをやめて、目の前の現実の面白さをもっと追究するといまよりも明るく、楽しく、希望をもって、知的な生活をすることができるのではないかと思います。

ぜひおためし戴きたいと思います。