緊急入院からお世話になった病院から大学病院に転院する日。



病状も安定しているので自家用車で行ってもいいよと言われたので家の車で向かいました。

(こんな寝たきりでも安定してるうちに入るんかーと驚きましたポーン)








少し遠回りして、通っていた保育園挨拶をしに行きました。





担任の先生が涙を流しながら「◯◯ちゃん頑張ってね、、!」と息子に語りかけてくれた姿を思い出すだけで今でも泣けます。涙腺ゆるゆる笑い泣き









病院に着くと平日にも関わらず旦那の両親、兄弟と義兄、私の母が息子を一目見ようと駆けつけてくれました。








体調も良くなく全く笑顔も見せることが出来ませんでしたが、入院してしまうと面会も出来ないので会いに来てくれて嬉しかったです。









いっぱいパワーを貰って、ここから長い闘病生活のお世話になる病院へ。










私は出産以外で入院したこともなければこんな大病院にお世話になったこともないので初めて見る大学病院の大きさに驚きましたポーン







この頃はコロナが5類に移行する前だったのでコロナ検査+3日間の隔離生活から始まりました。







色々な説明をされましたが、まずまだ息子の病気を受け入れられてないので何も頭に入って来ず何の話をしたか全く覚えていません滝汗







ここで息子の主治医になるお医者さんと対面。病院によると思いますが、この病院では専攻医?が主治医になるので割と早いスパンで主治医が変わります。息子の最初の主治医は1ヶ月で交代しました。そのかわり上の先生が担当医としてずっと見てくれていました。









転院してから数日間は息つく暇もなく検査と同意書の嵐でした。造影CT、MIBGシンチ、MRIやら何やらかんやら、、








何度も押さえつけられ採血をしたりレントゲンを撮っていた息子は完全に人間不信に陥っており、普段はずっとぐったりしているのに毎回の検温や血圧を測る時だけは大暴れの大号泣でした。








そんな息子が鎮静をかけられ眠り、薄暗いCTやMRIの部屋に置いて出なければいけないのがツラくて悲しくて、検査のたびに涙が溢れてきました。



被爆でもなんでもしていいから隣におらしてくれ!!と何回も思いました滝汗








1番最後の検査は腫瘍の組織を取ってくる生検と、これから長いことお世話になる中心静脈カテーテルを入れる手術でした。







その前に、担当医と諸々の画像検査の結果と術前のお話を含めたICがありました。





このICで全身の転移が分かるのでドキドキでした。