今日は父の日 | ◆完成品屋さんによるblog◇模型と猫◇組立彩色工房 岩崎◆

今日は父の日

あなたのお父さんはどんな人?

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親父に対しては、怖い親父と言う印象が生涯強い印象持ってるんだよね。
幼稚園に上がる前だった様なのだけど、母親を嘆かせる程当時の餓鬼の私は手を焼かせる悪ガキだったらしい。
で、制裁としてぶん殴られて部屋の端から端へ飛んだ様な記憶だけが焼き付いてる。以後、親父のゲンコツ?ビンタが効いたので母の雷でも制御出来る様に成ったらしい。
以後、私にとっては親父は常に怖い人であり続け、苦手意識も強かった。
しかし、趣味については両親共に中学上がってからは文句を言わなくなった。
 
2006年七月末に急性骨髄性白血病に罹患してた事が判り、入院したけど、かなり前から病気は進行してたらしく、ステージ4の末期。故に自宅でなるべく逝去迄過ごすと言う事で八月一杯入院して九月に退院。
一月の間に四回血液の輸血の為に弟と協力して通院させて、10月一日に逝った。
実家で98年から前職を離職し、自営業としての製作代行を始めてたから、この一つ期間は自分で看病出来た。
10/1は朝私が起きた時には目を開けてたから「おはよう」と声を掛けてから台所へむかったけど、感覚的に?と感じたので改めて確認に行くと息苦しそうに変容してた。
直感的にアカン奴やと思って119番へ。急いで弟にも連絡入れて何時もの病院へ来てくれと依頼。
留守は嫁に任せて救急車で病院へ。
最初の医者の質問には答えられたがそれ以後意識混濁で医者から「病室用意するので其処で看取ってください」と。
朝の七時頃から多分夕方の四時位迄掛かって親父は逝去。
最後迄意識は戻らなかった。
こう言う人が逝去した時って、神の采配の様な偶然が起こると言う不思議も経験する。
父の逝去翌日、飯の用意を買う為に行き付けのスーパーで、小学生の時以来会っていない親父の養子先のおばさんにばったり会う。今迄このスーパー出会う事すらない人がだ、その日たまたま来てた。
で、久しいねぇと声を掛けて貰ったが、父が~と言うと親戚周りの連絡は引き受けるからと言って貰った。詳しくは弟の方が取り仕切りなので任せてると伝えた。
で、式はつつがなく済み、墓に入れて今に至る。
 
気付けば18年も経っている。
当時は気が動転してたからだろうと今なら思う。
聞いておけばよかったと後悔する事が多い。
家は何時建てたのかとか、色々。
記録が残って無いからだ。しかし私よりは家の方が歳寄りだw。
親父達が新婚当時だったと思われるアルバムには、見慣れた昔の自宅の部屋が写ってたから。
築年数は私の歳に+一、二年なのだろうなと。子供の居ない頃にはそこそこ大きな雑種の犬も飼ってた様。あの時代、私が生まれると言う事で里親探して譲ったかも知れない。
名前の判らない飼い犬一号君。
親戚縁者の名前も養子先のおじさんおばさん位しか知らない。
それも既に逝去してるしね。
 
一応、母が存命中には嫁候補居ると報告出来たし、親父には嫁を紹介して同居したからね。ま、父が逝去してから離婚したけど。
不出来な長男だったけど、不出来ながらにかわいがってくれてたと思う。兄弟仲が良く保ててるのも、親父と母親共の配慮のお陰だと思う。