もう15年ですか。 | ◆完成品屋さんによるblog◇模型と猫◇組立彩色工房 岩崎◆

もう15年ですか。

あの震災から15年、振り返れば私の住んでいる豊中は被害
こそ少なかったですが、あの時は非常に揺れました。

地震の伝わるホンの30秒前位にふと目が覚めて、時間を見
ました。起きるにはまだ早い、寝直す事にしました。
階下ではオヤジが洗面所から寝室へ歩いていく足音。

事もなしでした。
しかし寝付くよりも早く、西の方向から凄い轟音を響かせて
走ってくるトラック?が接近してくる様な音を聞き始めました。

私の家の前の道路は200~250m程度の直線道路が走って
いて、深夜等はあの当時暴走族が走ったり、大型トラックが
ショートカットする為に深夜無謀にも一車線のこの道を驀進
する事が良くありました。
今回もそれかなと。
にしてはえらく衝撃が響いてきます。
迫ってくるに従い自動車等の起こす振動ではない事に気が
ついた時には既に上下左右に揺すられ、「地震だ!」と思っ
た時には動ける状態ではありませんでした。

幸い、私のいる地域ではその時の倒壊等の深刻な被害を出
した所はすくないようでした。

隣で寝ていた弟と身の回りでガラス等が砕けてないか確認
してから布団より抜け出し、階下の両親の様子を見に下りま
した。

小窓の外が変に明るかった。
見ると紫電が横方向へ光って走ってました。ホンの一瞬でし
たけどね。
アニメ「とある科学のレールガン」の美琴の発する電撃の様
なアレです。
その時は「ゴジラ映画か?」と思えました。
紫電が引くと元の薄暗さへ戻りました。

オヤジも何やら感じで目が覚め、うがいをしてから寝直す心
算だった様で、部屋へ取って返す途中、生涯初めての大地
震を経験した様でした。何とか異変に気がつき大黒柱へ体を
預けて揺れを耐えた様です。

母の方はこの大地震を全く関知する事無く寝ていました。
神経が太いのか何なのか。
大した物ですが、即応できなかったから被害に遭ったら酷い
目に遭っていたでしょう。

飼い犬も不必要な怯えを感じていなかったので幸いでした。

日が昇ってから電気の付かない自室をのぞくと、案の定。
本棚三本が全て倒壊。
載せていた色んな完成品が全て在庫品共々床へダイブ。
ガラスケースへ入れていたモノは無事でした。
しかし、後かたずけが大変でした。
急に廃棄処分のプラキットが大量発生。
ぼこぼこになったGKの箱も多かったです。

見切りをつけて45L袋へ廃棄していきました。
小・中学の頃から集めていた色んなスケールのプラモが
バラバラであったり、埃まみれだったりしました。

僅かな情報で苦労して完成させた戦車模型もモノの見事
に破損。修復する気にもなれず廃棄しました。

下では母が食器で被害が出たモノを廃棄。

オヤジは数日前に自家用車を修理に出していて、代車を
借りていました。
その代車が運悪く我が家のブロック塀の一部倒壊で被害
に遭いました。
傷はホンの少しでした。代車を手配した馴染みのディーラ
ーに連絡を入れました。
災害ですが費用負担が又増えてしまいました。

ブロック塀はこの家が出来る時に同じ時期に製作。
しかし本来鉄筋を入れる筈が一切入ってなかった。
元々の施工主たる親戚のじいさんが費用をケチり一部を
安易な製作にしていたようです。
確かに車の被害だけでしたが、運悪く通行人が下敷きだ
と慰謝料請求を言われていたかも。

しかし、神戸の甚大な被害に比べれば些細な被害でした。

会社の方は運悪く?出社していた人が社内の機材の歪み
を直したり、業者を呼んで修繕していたみたいです。
私は足となる阪急が不通でしたのでこの日は部屋の整理
で一日を終えました。

戦争体験のあるオヤジ等は本当に爆撃された後の様だと
二ヵ月後に神戸を走った際に思ったそうです。

翌日には宝塚線も復旧、私は何時もの様に会社へ行きま
した。
片方ではあれだけの被害、しかし、ホンの少しずれていた
ので大阪は普段どおり。
不思議でした。
此方では電気等直ぐに復旧しましたから不自由はないし。
しかしよく見ると瓦に被害が出ている所が非常に多かった。
幾らかの数のマンション等が一階部分に駐車場を持つタイ
プが倒壊して車を押し潰したりしたようです。


気がつけばあっと言う間。

今年の新成人は平成生まれだけで成立した初めての成人
式だったそうです。

だんだん「昭和」と言うのが色んな意味で薄れて行きます
ね。

亡くなられた方にはご冥福をお祈りします。

最近は地震が世界的に頻発しているので怖いですな。
激変はいらんわ。