箱根宿

  • 神奈川県足柄下郡箱根町
  • 江戸より二十四里二十九町(約97.4Km)
  • 小田原宿より四里八町(16.6Km)
  • 三島宿へ三里二十八町(14.8Km)
  • 歩いた日:2020/11/22

 

さて、箱根八里の後半戦。続く下り坂もなかなかキツイですぞ。

朝ごはんもしっかり食べて、08:30出発!

今日も良い天気、芦ノ湖がきれいです。

関所を超えて、旧東海道を進みます。今日も青空が気持ち良いです。

 

早速石畳。箱根峠までは登りです。

 

坂の名前は「向坂」~「赤石坂」

 

「釜石坂」~「風越坂」

 

 

両側の草が鬱蒼と茂っていて道も細く、ちょっと寂しい感じ・・・

 

箱根峠に出ました。

 

もちろん、旧街道の方を進みます。

 

昔はここに、接待茶屋があったそうな。一休みしたかったな。

 

 

左は「かぶと石」       右は「念仏石」

 

 

ほとんどトンネル状態

 

落ち葉が赤くて、良い色合い。

 

こりゃ、完全に「トンネル」だな。

それにしても、鬱蒼としていて、静かな山の中・・・

 

開けたところに出ると、ちょっと安心。

 

そして、秋の空。森の切れ間から見えているのは伊豆半島かな?

 

いよいよ三島市に突入。静岡県だ!

 多摩川を渡って川崎宿に入ってから、神奈川宿、保土ヶ谷宿、平塚宿、藤沢宿、大磯宿、小田原宿、箱根宿と、ここまでが神奈川県だったんですね。

 そしていよいよ静岡県。静岡県は意外と東西に長く、当分の間静岡県を歩く事になりますね~

 

杉並木と石畳。そして静寂・・・

 

山中城跡に着きました。

北条氏の小田原城の支城だそうです。Wikiペディアによれば・・・

『1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる6万8千の軍勢が山中城を攻撃、守将は北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら3千。間宮康俊は寄親北条氏勝等を撤退させて自らは手勢200を率いて三ノ丸~岱崎出丸辺りで豊臣方に苛烈に抗戦した為に、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出した。しかし戦力差甚だしく猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死した。』

 

戦国の歴史を感じます。

それにしても、こんな山の中の城で、そんな戦いがあったとは。

3000人で守っている所に6万8000人で攻めてくるとはびっくり!

 

堀の構造がよく分かります。意外と複雑な構造をしています。

 

 

雲がかかって富士山は見えませんでした。ちと残念なり。

 

そしてふたたび、鬱蒼とした旧道を進みます。

 

見晴らしの良いところに出ました。ちょっと雲が多いけど、遠くまで見えてます。

三島方面と、その先は伊豆半島かな?

 

お、だんだん人の住むところまで降りて来ましたよ。

 

箱根旧街道の案内板。この辺を歩く人もそこそこ居るのかな?

案内板や標識が出てるので、迷うことはありませんでした。

 

三島市街地へ向けてどんどん降りていきます・・・が、歩いた印象としては、「見えてからが長かった」というのが正直なところ。

 

きれいな花が咲いていました。

 

まだまだ下りが続きます。なかなか細い道ですが。

 

ふと見れば、道端に「六地蔵」

 

なんか、本当にここで合ってる?というような旧東海道

 

気を抜くと、周囲の草木に覆われてしまいそうな、旧東海道

 

と、しばらく歩くと、比較的整備された新しい石畳の旧東海道

この辺で、かなりヘトヘトになってましたね。

 

錦田一里塚。江戸から28番目。現存。

 

愛宕坂だそうです。

 

けっこう急。案内板曰く「人も馬もすべって大変なところでした」との事。

 

静かな道。これ、言われなければ東海道と思わないだろうなぁ。

 

東海道線の踏切に出ました。ほぼ、下りきったのかな。

 

小さな流れを渡ります。このまま真っすぐ行けば、三島大社だな。

 

こちらは大場川。これを渡ればもうすぐだ。

 

到着~三島大社に着きました。もうヘトヘト、足もガクガクです。

 

というわけで、自分にご褒美。贅沢に三島のうなぎをいただきました。

 

 

 「三島のうなぎ、旨かった!」

三島うなぎ 食彩あら川 丸平

静岡県三島市中央町4-16

 

三島の街は良いですね。道の脇を透き通った綺麗な水が流れます。

 

白滝公園。三島は水の街ですね。

 

箱根八里、踏破しました!

今日はここまで、新幹線でビール飲みながら帰りま~す。