いつか見たあいつが、また大きくなって久しぶりに戻ってきた。昔はいつも一緒にいた。俺が大きくなるほど、そいつと会う機会は段々と減っていった。しかしいなくなったわけではなく、俺の周りの仲間たちの影に隠れていたり、いやわざと目を背けて見えないふりをして、いつしか忘れるようになっていた。こんなんじゃ、いつまでたっても一人ぼっちで、何かを失った途端にどん底だ。

俺はいつからこんなところにいたんだ?

 あいつは俺をどこかへ連れ戻そうとする。「お前の居場所じゃないだろう、ここは」と言って。しかし、ならばどこへ連れて行くんだ?どこが俺の場所なんだ?もしかして5年前のあの場所か?それとも、まだ行ったことのない場所?答えは返ってこない。不安でたまらなくなる。俺はこの先どうなっちまうんだろう。このまま流されちゃうのかな。消えちゃうのかな。押しつぶされちゃうのかな。こんなにわがままな俺はいつか理想に飲み込まれて、いつか取り返しがつかなくなっちゃうのかもしれない。もうここからは出れないのかな。昔、夢見たあの場所が、前よりも遠くに見える。

臆病なんだ。

 わかってるんだ、答えはひとつしかない。こいつが近くにいる限り、たとえ見えないところにいようとも、背後にいたとしても、透明になったとしても、俺の周りのまぶしいばかりの幸福や、仲間たちの影に隠れていようとも、俺はそいつから目を背けずに、見失わずに、人知れず努力を続けるしかないんだ。必ずそいつはいつか本当にいなくなると信じて。
 本当のことを言うと、問題意識はある。先進的な考え方も持っている。しかし想像に自分の能力が追いつかない。想像力を売れば金にはなるのかもしれないな。


 あと、やっぱり努力は隠れてしたほうがいいな。見られないと、自分の評価と自分への認識にギャップができると思うだろう。その逆だ。じゃなきゃもっともっと悩むことになる。努力なんてしないに越したことはない。努力なんて金にならない。努力で幸せにはなれない。
 あんまり努力を見せると、たちまち自分はなんだかすごい人間なんだと錯覚して、それが進むと、なんでこんなにすごい俺がこんなところにいるんだ!なんて傲慢なフラストレーションを起こしだす。挫折は恐れずに育て上げ、成功は次の日に捨てろ。


 言っておくが彼みたいにはなりたくはないんだ。彼とは、自らをBOSSと呼び、ちゃんと人の暗さと向き合い、それを言葉にし、俺みたいな狭い列島のkidsたちに伝え続けたあの彼のことだ。彼には感謝しているし、今も大好きだ。彼の言葉は今でも多く思い出すし、とてもインスピレーションをもらった。彼が発信したことで俺がここに今いれるとも思う。助けられた。しかし、ああやって金を稼いでいいものだろうか、と思ってしまう。
 結局のところ俺は普通の常識ある中産階級出身の人間だった。昔、好きだった女が水商売をしていた。それを知った途端に、俺の気持ちはなぜか萎えた。受け入れる時間がなかったとも言えるが、そこに時間を割く気もなくなった。それまではそいつとの予定は一度として断ったことがなかったのに、だ。他にもそういう仕事をしている知り合いはいるし、言葉や態度ではフェアに扱っていても、意識化で俺はそういったものに偏見を持っていたことを知った。ショックだった。だったら俺はどうやってここから抜けだせるんだろうか、と。
 俺は何よりも金が欲しかった。本当に欲しいものはそりゃあその先にあるのだけども、わかり易いインディケーターとして、また使いやすい手段として金が欲しい。一方、芸術家とは、つまりサイエンスでなくイマジネーション、答えのないものを生業にする人はそんなことを思っちゃいけないと思う。純粋に好きだから映画を作るべきであって、金のためにやっちゃいけないと思うんだ。そしてその中の一握りが奇跡的に成功して富を手にする。
 いや、要するに、勝てばいいんだ。結局のところ、勝利は金で、理解も金なんだ。自分の意見や思想を発信し続けて、それが理解されないと嘆いて世の中に嫉妬しているような奴らが一番嫌いなんだ。その嘆きは、自分に対する疑いだから。信じ続けていれば、あきらめない。理解されないで「自分は正しくないんじゃないだろうか」と思い始めたら、もう芸術家なんてやめるべきだな。その逆もまた苦しいはずだ。

 NTT com.のTV cmは好きだ。おばあさんが「私が会社を作るかもしれないでしょう。恋愛だってするかもしれないのよ。」と語る。とても夢のあるカッコいいcmだ。NTT com.はICTという言葉を積極的に世に広めようともしている。いいことだと思う。可能性があることはすばらしいことだ。こんなメンタリティを心のどこかに持っていれば保険にはなるかもな。