素直にならないと、深みにはまる。
負けを認めないと、それを糧にすることもできない。

 本人は気づいているのか知らないが、自分の欠点について触れない人間がいる。人知れずそんな部分と向き合えるならば問題はないのだが、どんな人間にも素直に自分の非を認めないと、周りの優しい人間たちはそれを指摘しない。気づいていない本人はそこから課題や解決策を導くことが難しい。成長する機会を損失している。そう簡単には他人の視点になんてなれないから、もし本当に他人に弱みを見せずに行くならそこまで一人ぼっちで成長するしかない。そんなに人間は強いかな?



新しい自分がうっすら見えた。
いや、なんも新しくはない。

 たぶん俺は広告屋とかのほうが向いてたんだろうな、とふと思った。とても失礼なことを言うようだけども。カッコつけてばかりで生きてきた俺は「良くみせようとすること」はわりと得意なんだ。スマートで、スタイリッシュな文面も考えられる。多くの層に受け入れられるようなちょっとした工夫も得意だ。そしてそういうことをしているときはわりと楽しい。
 ただ、本当のところあまり好きじゃない。どうしても真実や本質的な部分から乖離して理解されるのが俺の哲学に反する。いいギャップでも、悪いギャップでも。真実を伝えること、あるいは発信され、受け取られたイメージに追いつくことが俺のミッションであると考える。そうすることでしか自分の本性を正当化できない。


 言いたいことがこんなにあるのに、どうして言葉になるのはこんなに少ないんだろうか。思考回路から、発言という次の段階に行く障壁は高い。一度言葉にしてしまえば、他者や外界に対して責任をとらなければならないから、慎重に審査されたものでなければ言葉にはならない。この障壁によって、人間社会はバランスを保ち、人と人は秩序の中にいれるのかもしれない。