脇役が主役になったらバランスを崩す。

 以前した話だが、つくづく人には役割というものがあると思う。そしてそれを思い出すたびに、言葉をためらう。今話している相手にも、言うべきことと言わざるべきことがある。元ソロモン・ブラザーズ副会長のヘンリー・カウフマンは「金融は社会の脇役」と言った。そしてその脇役が主役になってしまったことで、経済がバランスを崩したのが今回の金融危機ではないだろうか。「投資」という経済行動はそもそも、資源の偏在を利用して生産を促すシステムと理解する。株式会社制度において、イノベーティブなアイデアや技術に対してそれらを活用する資本を投入し、新たな生産を促すことが投資の始まり。それぞれ別々の場所にある情報資源と金銭的資源を社会的に組み合わせること。これまで、その「脇役」のおかげで多くのベンチャー企業、起業家たちがイノベーションを起こし、時代を変えてきた。しかし、いつしかそれらが次第に舞台の中央に出てきて、いつの間にか主役になり、物語は収集がつかなくなってしまった、というシナリオ。
 ちなみに俺は、最近よく耳にする、マネタリズムやネオリベラリズム(新自由主義)の破綻という見方には未だ疑問を残している。更には資本主義の破綻とまで言ってのけるメディアもあるが、少々短絡的な見解に思う。資本主義とはあくまで、政府管理と市場競争のバランスを取り続けることが宿命。そして金融危機は、一部の投資銀行が長期的な経営や利益を読めなかったという、言わば企業の「戦略ミス」に過ぎない。そしてその影響が波及したならば、その(明らかに危険な)投機の渦に関わっていた企業の戦略もまた間違っていた。資本主義の中で政府の役割とは公正な競争の為の「ルール」を作り、整備しつづけることである。究極の自由とは「無政府状態」と考えれば、いくら自由競争といえども、「完全なる自由」でないことは社会の暗黙知である。ならばもう一度、社会を作るのは政府なのか、市場なのかをはっきりさせるべきである。

 人生がロールプレイングゲームだと言うなら、自分の役割(role)をもう一度よく考えた方がいい。俺はテレビゲームのことはよく知らない。もっと面白いゲームを知ってるからだ。