明日死ぬかもしれないということを常に思って生きろ、とはよくある信念だが、明日生きているからこそ頑張ることばかりじゃないのか?人生もゴーイング・コンサーンが前提なんだ。ただ、企業と違うのは、人間は死なないために生きているわけではない。もっと人類は成熟している。企業努力とは、明日倒産せず、キャッシュフローを作って繁栄を目指すことだが、人間の努力とはそれに当てはまらない。ならば倒産を堕落(すなわち生きながら死ぬってこともあるってことだ)と捉えればいい。
 明日堕落せずに、ライフライン・フローを作って繁栄を目指す。ライフラインとは、栄養や住居、マネー、家族、愛、仲間、知識、娯楽といった、その人のモチベーションの源泉だ。フローと言ったのは、これらも消費するものだし、変わり続けなければならないからだ。大切な何かと引き換えに未来に投資をするときもあれば、時に負債を処分することもある。どうやら何か、分かり始めてきたよ。

 全部欲しいと思うことが罪なんだろうか。素直なままに生きるということは、思っている以上に難しいみたいだ。満ち足りないまま生き、死んでいくことは思っている以上に辛く、孤独なことみたいだ。俺はついに誰にも愛されずに生きていくのか?全てに愛をささげることが嫌になって、人は幸せになっていくんだろうか。そんな気配は微塵もなく、ただ愛を広げようとする俺は永遠に孤独に突き進むんだろうか。

俺は刹那主義なんかじゃねえ。