資産は時に負債に変わる。

 在庫がなぜいけないのか。これは会計上の問題。単なる在庫管理費がかかるというだけでなく、在庫とは投資がリクープされていない状態。会計上の状態とはつまり、定期的にスループットを出さなければいけないこと。キャッシュフローすなわち資金繰りだ。在庫は通常、資産の部に入る。しかし、利益を生み出さない状態(PPMでは「問題児」に近い状態)のものを在庫として持っておくには、それらがいつ投資を回収できるかを明確にし、それまでのキャッシュをどこで賄うか計画しなければならない。
 どの企業にとっても在庫は大切だ。例え、ただの売れ残りであっても。なぜなら、これまで資本を投入して育て上げてきた財産だから。しかし、イノベーションを起こそうという時、それらは負債となる。

 俺の場合、捨てるものは全て投資を回収できなかったわけじゃない。そして付加価値は未だ俺の中に残っている(だから捨てられるんだ)。だからこれから回収できるとも言える。だから減価償却が出来ない。言い方を変えると、使い方次第で償却は無限に出来るから減価の値が決まらない。帳簿上で段々と減ってるものが、実際にはとうの昔に存在していないなんてことが起きてしまう。それこそが知的財産だ。スループット会計では減価償却をしない。償却する値が一定でないならばその方が正しい。
 これまで積み上げてきた財産が負債になるとき、リストラクチュアリングが始まる。伝統、歴史、遺産、時代。過去の財産を全て捨てて進まなければならない時がある。大丈夫、本質的にはつながっている。

「いいか、君がしていることは正しいんだ。心配するな。」
「ええ、正しいんでしょうが、ただ、ルールに反します。」
「だったらルールを破ればいい。もともと出来の悪いルールだったんだろう。」

 ルールによる統率は変化への柔軟な対応が前提だ。環境が変わればルールも変わって然るべきで、ただ変えすぎるのも組織によくないので、段階的に作るべきだ。そうすれば基盤となるレベルのルールほど、変える頻度は少ない。

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か/エリヤフ ゴールドラット


以下、生産管理論の講義で提出した感想文レポート


「ザ・ゴール」から学んだことは主に2点、従属事象と在庫の捉え方である。学んだこと、と言うよりは気付かされたことに近いかもしれない。読み終わってしまえば当然のように理解できるが、それもこの本の分かりやすさ故だと感じた。また、後者に関連して、ビジネスにおける会計の重要性も強く感じた。タイムリーな経験をしたことも助けて、在庫や資産という概念は私の中で大きく変わった。

 まず、従属事象について。効率的に生産するということは、ボトルネックを無くすことではなく、ボトルネックを最大限に活用することだ。そもそも、ボトルネックを無くすことは不可能である。ボトルネックとは相対的なものでしかないと理解した。つまりボトルネックとは、その生産ラインにおいて相対的に最大生産能力が低い部分のことであり、どの部分も全く等しい生産能力である場合以外は必ず存在する。そして文章中にも出てくる「統計的変動」という不確実性が0%になることは現実的にあり得ない。なぜなら、どれだけ生産の自動化が進んでも、そのプロセスの上流部分に人間がいなくなることはありえないからである。全てが機械による生産を行ったとしても、製品企画も、機械への指示も人間によって行われる。不良率などの統計的変動とは、人間の不確実性に端を発するものだ。よって、ボトルネックは絶対に存在するものである。
電車の中でどんなに急ごうとしても、自分のスピードは乗っている電車のスピードに依存する。これは、私たち学生という立場そのものに関しても言える。大学は、みな4年間という同じ時間を与えられており、どれほど学業に力を入れても4年より短くは卒業できない。ならば、私たちが目指すべきことは、電車を降りた後にどれだけ早く走れるか、卒業した後にどれだけのスループットを作れるか、である。人生をリソースの流れで2つに分けるとしたら、(私の場合)学校や社会から様々なことを「学ぶ人生」(=リソースをインプットする人生)と、それまで学んだことを使って「伝える人生」(=リソースをアウトプットする人生)だと思う。人生を生産に例えると、スループット(例えば生涯収入)は学生時代というボトルネックでどれだけの生産能力を発揮できるかに依存する。もっとも、ボトルネックは学生時代だけとも限らないし、人によっても違うことは当然留意すべき点である。また、スループットを測る基準は人によって違う。お金で測る人もいれば、それ以外の見えないもので測る人もいる。

 2点目の、在庫の捉え方について。私がこの本を読んでいる日々の中で得た最も大きな学びは、資産は時に負債になる、ということである。このような言い方をしたのも、この本を読むのと並行して、私のある経験がリンクしたからである。
私は最近、大掃除を始めた。私は卒業と同時に実家を出ることを決めており、それまでの時間を使って自分の持ち物の大部分を処分し、整理しようと思ったのである。しかしながら、とても時間のかかる作業だと気付いた。私はいわゆる「捨てられない人間」でも「片付けられない人間」でもない。ただ、私の部屋には大切なものが多すぎた。3歳から現在の家に住んでおり、先述の通り「学ぶ人生」を終えたら、何も残さずに家を出ようと思っている。約20年間で積み上げた持ち物は、予想以上に多く、このままでは家を出られない危機感を感じた。なぜ、それほどまでに物が多いか。答えは単純である。全てが私にとって大切なものであった。しかし、社会人になればそれは負債になりかねないと感じた。「学生気分が抜けない」という言葉は新入社員への不満としてよく聞くが、これまでの経験や「思い出」、つまり過去を整理しなければ思い切って先へ進むことができないのではないか。これまで大切にしていたものが、負債になる前に整理する必要を感じた。これまでの資産が、引越しの、あるいは社会への移動障壁となってしまう危険だ。
私が処分しようと思っているものは、全て私の資産である(厳密に言えば、まだ私は被扶養家族なので私の家族の資産である)。これまでの人生で私はCDや本、レコード、服、雑貨といった有形財、あるいは旅行や飲み会、食事といった無形財に投資をしてきた。挙げればきりがない。では、これらが果たしてスループットに変わっただろうか。例えば飲み会へ行った(投資した)おかげでそのメンバーと親密になり、新たな知識を得たかもしれない。旅行へ行った(投資した)おかげで会話の幅が広がり、新たな出会いを生んだかもしれない。一方で、まだ誰にも話していない知識もある。昔に読んだ本から得た知識でも、使っていない知識というものも多くある。しかし、これらの本を処分したからといってこれらへの投資(本の購入費)は無駄になるだろうか。答えは、ある意味自分次第である。その知識の活用次第だ。つまり、これまでの資産の付加価値は、私の中に蓄積され続ける。その物自体は負債となるが、つまり、移動(引越し)の邪魔になるが、それが生んだ付加価値は今でも資産であり続けるのだ。在庫は負債にも、資産にもなり得る。このような資産を減価償却、つまりスループットごとに配賦することはとても難しい。
私は標準原価計算と比較して、スループット会計の方が、より会計の目的に沿っていると思う。これは単に各期の現金残高との誤差が少ないという意味ではない。製造間接費の厳密な配賦は不可能であるからである。更に述べると、製造に関してのみでなく全ての経営資源に関して、完全な減価償却は不可能であると考えるからである。標準原価会計は、中・長期的な投資に対する見返りを反映してくれるが、それでも完全ではないのである。逆にスループットには、中・長期的な投資への費用対効果は反映されにくい。しかし、会計の目的とは「企業の利害関係者に有用な経済的情報を提供すること」である。経営者、従業員、株主、顧客など企業には様々な利害関係者がいるが、それらの目的が全て「儲けること」と仮定すると、すべての費用に関して「何に対する投資か」、「その費用はどのようなスループットにどのように結び付くのか」という点を説明出来れば、より優れた財務会計となるのではないかと思った。
在庫とは、投資がリクープされていない状態と理解した。在庫管理費などがかからないと仮定しても、一定期間中にその投資がスループットに変わらなければ、会計上は支出のみ、その分の収入がない状態となる。
企業の、つまり財務会計の前提がゴーイング・コンサーンならば、人の人生もまた然りだ。企業はキャッシュ・フローがなければ会計という評価指標のもとで倒産してしまう。企業は長期的な投資をすると同時に、各期のキャッシュ・フローを拠出し続けなければならない。同じように人間も、常に血を作り続けなければならない。また自分の心を支える何かを得続けなければならない。将来に対する投資をすると同時に、今生きるための金や、安らぎ、といったものを得続けなければならない。個人的には、「愛」や「安らぎ」といったものも、消費財であると思っている。つまり、一回得ればいいというのではなく、それらも新しく得続けなければならない。そうでなければいずれ無くなり、モチベーションや活気、つまり「生きる糧」といったものがなくなってしまう。私たちは、働いて生活費を稼ぐと同時に、何かに興味を持ち、探求し、誰かを愛し、活力を稼ぎ続けなければならない。

 最後に、この本の中で心に残ったやりとりを挙げると、工場全体のシステムを変えようとするアレックスが、ルールを気にしているボブを説得する場面だ。
「いいか、君がしていることは正しいことなんだ。心配するな。」
「ええ、正しいことなんでしょうが・・・・・・、でも、そのためにルールを破りました。」
「だったらルールを変えればいい。もともと出来の悪いルールだったのかもしれない。」
イノベーションを起こすにはルール、つまり仮定や常識、慣習といった根本から疑問を持ち、考え直さなくてはならないという大きな教えであった。


<参考文献>
◆エリヤフ・ゴールドラット『ザ・ゴール』(2008)ダイヤモンド社
◆経営能力開発センター『経営学検定試験公式テキスト4 アカウンティング』(2008)中央経済社