全て作品の中で語ったはずなのに言葉での解釈を求められるのは不本意だ。
完成した作品以上に説得力のある言葉などない。

言葉に出来なくても理解に変わりはない。
自分の感覚を信じていれば理解の扉は自然と開くはずだ。

            デヴィッド・リンチ

 言葉にしなければならない状況におかれた今の俺だけど、結局人はその全身全霊を使って表現をし続けているんだとも思う。彼の言語は映画であり、またある人の言語はバイオリンの調であり、ただ一瞬を捉えた写真を自分の言葉とする人もいる。そして、金儲けや暴力を言語とする人たちだっている。まだ言葉を持つことができずに、多くを語る人間だっていくらでもいる。全ての人はお互いの2つとない言語を持って時にすれ違い、勘違いを繰り返し、分かり合おうとする。
 キリスト教のことはよくわからないけど、ヨハネのエヴァンゲリオンの冒頭に記されているらしい「まず初めに、言葉があった」の意味を知りたい。