欲望を一貫して肯定し続けてきた。
嘘だとかきれい事だとか人の意見は多くあるけど、
それに対して欲望が見えるかどうかが普遍的な俺の信頼の判断材料であったと思う。

こないだの話だけど、経済学で「神の見えざる手」っていうのがあって、それぞれの役割の中で人は自らの欲望を全うすることこそがこの世のバランスを保つベストな状態なんだって思う。
変に自分を殺して人のことを気遣いすぎたり、主観的な幸福より客観的な理想を優先したりするのは
つまり自分の欲望に忠実でないことがきれいごとなわけで。
部分最適化が全体の最適をもたらす。
だから俺は戦いや争いごとを否定できないし、
否定できないからこそそれを無くすことが目指す場所でもある。
ただ、人の目を気にしたりするのは彼が育んできた価値観だから、
どう転んでも結局はそれも欲望なのかもしれない。

「神のみぞ知る」ってやつだ。
まぁここでも神なんて奴は己の中にいて、例え話の域を超えない。