今の俺を知る人なら想像できないかもしれませんが、小さい頃、俺はいじめられっ子でした。

いじめと言っても大そうなものではなく、仲間内でしょっちゅうやられる役目みたいなものでした。

友達がいないわけではありませんでした。むしろ、友達は多いほうだったと思います。

そしてガキ大将的な子と常に一緒にいて、プロレスごっこなどでいつもやられていました。

恥ずかしがり屋で、引っ込み思案で、人見知りばかりするおとなしい子で、運動も出来ませんでした。


周りと少し違うことに興味を持っていて、今となってはそれも俺の生業のようなものですが、

幼い子供の社会というのは大人の世界以上に、人と違うことをするのに勇気が要るんですね。

少なくとも俺はその勇気も無く、周りに同調することで人間関係を保っていました。

そして、たまに見せる変わり者の片鱗を馬鹿にされても言い返すことが出来ませんでした。


家庭の環境も、やはり他の子の家とは少し違うことを日頃感じていました。

母親は、胸を張って周りと違う行動をとれる人でした。

そんな母の姿に、当時からとても頼りがいを感じていたのは確かでしたが、

同時に他の家と違うことが当時の俺にとって常に負い目でした。

例えばみんなが観ていたアニメも母親には禁止されていました。

友達の話題についていけないことが、空気を読みまくっていた少年にはたまらなく苦しかったのです。


素の自分を出したら変人扱いされるので、友達と遊ぶのが好きではなかったのです。

自分を取り繕って遊ぶのは辛く、どんどん暗い少年になっていったように思います。

それよりも家の中で、ひとりで自由に絵を描いたり、本を読んだり、

家にあるCDを聴いたりするほうが断然好きでした。

親も、変わった子だとは思っていたかもしれませんが、そういう雰囲気を一切出しませんでした。

そこまで厳しくも無く、逆に自由奔放に育てられたわけでもなかったですが、その点はありがたかったです。



そして少し大きくなりました。

ある程度大きくなると、子供は段々と周りと違うことがカッコいいと思い始めます。

8~10歳くらいでしょうか。その時期に俺ははじけました。

それまで一人ぼっちで周りと違うことをし続けた変わり者の少年は、人気者になり始めました。


アニメを観れなかった代わりに大人が聴く音楽を知っていた俺は一目置かれ、自尊心を蓄えていきました。

いつの間にか気も強くなり、かつてのいじめっ子の俺に対する態度も小さくなっていました。

この頃から、人と違うことが怖くなくなりました。人と違うことを誇るようになりました。



これが俺の人生の最初の転換期の話です。



ですが、幼い頃の自分はもういないかと言うと、そうではないんです。

幾度と態度や価値観が変わっても、尊大な羞恥心は未だに潜み、時々顔を覗かせます。


「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。
己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」


また、この時からずっと強い自尊心を持って生きてきました。


「人々は己を倨傲だ、尊大だといった。

実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。
勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。

しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。」



尊大な羞恥心と臆病な自尊心のジレンマに落ち込む時、

この物語を慰めにして孤独と向き合うことにしています。



「どうすればいいのだ。己の空費された過去は?己は堪らなくなる。
そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。
この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。
己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。
しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。
山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。
天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。
ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。
己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。」



俺の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。