ポートとハーバーの違いを書いてある本を見つけた。
かなり長文だが面白いので全文引用する。(OCR で読み込んだ)
かなり長文だが面白いので全文引用する。(OCR で読み込んだ)
以下は「海の英語(イギリス海事用語根源)」昭和46年初版 よりの引用
「港」には、英語として、port と harbour の二つがあるが、原意はそれぞれ区別される。
まず、portは、ラテン語の portus(港)、porta(門)に由来し、「出入口」「門戸」が原意である。
ただし、この portus、porta は、さらに、ラテン語動詞 portare(運ぶ)に由来する。
これには一つの寓話がある。
古代ローマでは、新しく都市を区画するとき、その周囲に防備の城壁をつくるため鋤(すき)でもって予定線を堀ったが、この予定線を足でまたぐことは、やがて造築されるであろう城壁が敵に侵犯される凶兆であるとして、厳禁された。
よって、若干数の出入口(城門)の設けられる個所だけは予定線を中断しておく必要があり、その個所では、人々は鋤をたずさえて運んだ。つまり、鋤が運ばれた(portus=to have been carried)。
このため、porta、portus が転じて「出入口」「門」「港」を意味するようになった。
いずれにせよ、こうした原意にそって解するならば、港のうちで「商港」がportの原意にもっとも忠実ということになるであろう。
日本語でも「みなと」は「水門」(みなと)であり、「港」はサンズイに巷(ちまた)と書く。
まず、portは、ラテン語の portus(港)、porta(門)に由来し、「出入口」「門戸」が原意である。
ただし、この portus、porta は、さらに、ラテン語動詞 portare(運ぶ)に由来する。
これには一つの寓話がある。
古代ローマでは、新しく都市を区画するとき、その周囲に防備の城壁をつくるため鋤(すき)でもって予定線を堀ったが、この予定線を足でまたぐことは、やがて造築されるであろう城壁が敵に侵犯される凶兆であるとして、厳禁された。
よって、若干数の出入口(城門)の設けられる個所だけは予定線を中断しておく必要があり、その個所では、人々は鋤をたずさえて運んだ。つまり、鋤が運ばれた(portus=to have been carried)。
このため、porta、portus が転じて「出入口」「門」「港」を意味するようになった。
いずれにせよ、こうした原意にそって解するならば、港のうちで「商港」がportの原意にもっとも忠実ということになるであろう。
日本語でも「みなと」は「水門」(みなと)であり、「港」はサンズイに巷(ちまた)と書く。
これに対して、harbour は「軍隊をかくまう場所」「避難所」が原意であって、アイスランド語herr(軍隊)十barg(救う、護る)古高ドイツ語 heri(軍隊)十bergan(庇護する)などに由来する。
harbour を英語辞典でひいてみると、動詞としては save(救う)、help(助ける)、defend(防御する)と解釈がついており、名詞としては inn(宿屋)、host-shelter(避難所)、a place of shelter for ships(避難港)と解釈がついている。
harbour を英語辞典でひいてみると、動詞としては save(救う)、help(助ける)、defend(防御する)と解釈がついており、名詞としては inn(宿屋)、host-shelter(避難所)、a place of shelter for ships(避難港)と解釈がついている。
They gave harbour to crimina1.(彼らはその犯人をかくまった。)
A snug harbour in one’s old age(年をとってからの居心地のよい隠居所)
A snug harbour in one’s old age(年をとってからの居心地のよい隠居所)
現代英語 bury は「埋める」意であるが、地中に埋めるのは、それを盗難から守るためであって、bury の原意は、むしろ「庇護する」ことにある。
この bury と同系の語として英語の borough (都邑)、ドイツ語 Bury(都市、城郭)があり、いずれも「防護される城郭」が本来の意である。
こうした bury、borough、Bury と語を同じうするものに、上記の bergan(庇護する)がある。
ゆえに、port と harbour とは原意が全くちがうものと考えなくてはならぬ。
これを Shakespear の用語例について見ると。
この bury と同系の語として英語の borough (都邑)、ドイツ語 Bury(都市、城郭)があり、いずれも「防護される城郭」が本来の意である。
こうした bury、borough、Bury と語を同じうするものに、上記の bergan(庇護する)がある。
ゆえに、port と harbour とは原意が全くちがうものと考えなくてはならぬ。
これを Shakespear の用語例について見ると。
Safely in harbour
Is the king’s ship ; in the deep nook,
-Shakespeare: The Tempest, I.ii.226-7.
王様の船は無事に港内にあります。
あの深い入江に匿してあります。
To harbour fied, -Shakespeare: Troilus and Cressida,I.iii.44.
港に逃げ込む
Is the king’s ship ; in the deep nook,
-Shakespeare: The Tempest, I.ii.226-7.
王様の船は無事に港内にあります。
あの深い入江に匿してあります。
To harbour fied, -Shakespeare: Troilus and Cressida,I.iii.44.
港に逃げ込む
とあって、harbour の原意がよく表われている。 こういう場合に port を用いないShakespeare の海事用語例の正確さを見落としてはならない。
And with diffeiculty coasting along it was came unto a certain place called Fair Havens: -New Testament, The Acts, xxvii.8.
陸に沿うて航行し、辛うじて「良き港」と呼ばるる所へ来ぬ。
陸に沿うて航行し、辛うじて「良き港」と呼ばるる所へ来ぬ。
聖パウロがクレテ島付近の海上で遭難した時のことである。
ここで “Fair Havens” は日本語の新約聖書では単に「良き港」と訳されているが、この Havens は、「港」であるとしても、port(商港)でなくて、harbour(避難港)である。
船を避難させるのに好都合の港であるゆえに「良き港」なのである。
要するに、port と harbour とは本来の機能に相違がある。だから、
ここで “Fair Havens” は日本語の新約聖書では単に「良き港」と訳されているが、この Havens は、「港」であるとしても、port(商港)でなくて、harbour(避難港)である。
船を避難させるのに好都合の港であるゆえに「良き港」なのである。
要するに、port と harbour とは本来の機能に相違がある。だから、
Myos Hermos, a more southerly Red Sea port with a better harbour than Arsinoc,
-Fayle: A Short History of the World’s Shipping Industry, p.52.
-Fayle: A Short History of the World’s Shipping Industry, p.52.
紅海のやや南寄りにあって、Aesinoc よりも上等の避難場所をもつ港、Myos Hermos
という表現をとることにもなる。
ここで、harbour の原意にっいての興味ある見解として英文法史の権威 Henry Bradly から引用しておきたい。
という表現をとることにもなる。
ここで、harbour の原意にっいての興味ある見解として英文法史の権威 Henry Bradly から引用しておきたい。
動詞としての harbour について見るに、以前は、ひろく、「客として迎える」「庇護を与える」「もてなす」という意味を持っていたが、たまたま、この言葉が犯罪者を隠匿した場合には罰金を課する、という御触れ書きのうちにしばしば用いられた結果、庇護すべきでない人間・物を庇護するという意味だけに制限されて用いられることになった。
だから、比喩的に“harbouring evil thoughts” (邪念をいだく)とは言うけれども、“harbouring good thoughts” (善意をいだく)とは言わない。
あまり古いことでないが、ある広告が新聞に出ていた。
あるイタリー僧侶団体が “they harbour all kinds of diseases” (彼らはありとあらゆる疾病を抱えている)という理由のもとに、イギリス人の慈悲心に訴えて、この団体の設立を企てる病院に寄付金を募集したのであるが、この表現はおもしろくない。
ただし、もし、これが、もっと古い時代の英語として書かれたとしたならば、少しも皮肉な意味をもたなかったと思われる。
-Bradley: The Making of English, London, 1955, pp. 190-91.
だから、比喩的に“harbouring evil thoughts” (邪念をいだく)とは言うけれども、“harbouring good thoughts” (善意をいだく)とは言わない。
あまり古いことでないが、ある広告が新聞に出ていた。
あるイタリー僧侶団体が “they harbour all kinds of diseases” (彼らはありとあらゆる疾病を抱えている)という理由のもとに、イギリス人の慈悲心に訴えて、この団体の設立を企てる病院に寄付金を募集したのであるが、この表現はおもしろくない。
ただし、もし、これが、もっと古い時代の英語として書かれたとしたならば、少しも皮肉な意味をもたなかったと思われる。
-Bradley: The Making of English, London, 1955, pp. 190-91.
だが、言うまでもなく、上記は原意に忠実な用語例に関してのことであって、現在の実際では、harbour は、しばしば、port と同義に用いられる。
いま、イギリスのある法律について見るに、
The expression ‘harbour’ means any harbour whether natural or artificial, and includes any port, dock, estuary or arm of the sea, any river or canal navigable by sea-going vessels, and any waters in which sea-going vessels can obtain shelter or ship or unship goods or Passengers.
-The oil in Navigable Wate Act, 1922,(12 5 13 Ge0. 5,c.39)
と規定されており、自然的に良好な避難港はもちろんのこと入工的につくられた避難港であっても、また、port でも dock でも、河口でも入江でも、さらには、海洋船が航行できさえするならば河川でも運河でも、また、すべての避難可能の水域、貨客の積込、陸揚の可能な水域であるならば、すべで ‘harbour’ と呼んでよい、と定めている。
こうなると、もはや、harbour も port も原意をはなれて、両者区別なしに用いられているわけである。
いま、イギリスのある法律について見るに、
The expression ‘harbour’ means any harbour whether natural or artificial, and includes any port, dock, estuary or arm of the sea, any river or canal navigable by sea-going vessels, and any waters in which sea-going vessels can obtain shelter or ship or unship goods or Passengers.
-The oil in Navigable Wate Act, 1922,(12 5 13 Ge0. 5,c.39)
と規定されており、自然的に良好な避難港はもちろんのこと入工的につくられた避難港であっても、また、port でも dock でも、河口でも入江でも、さらには、海洋船が航行できさえするならば河川でも運河でも、また、すべての避難可能の水域、貨客の積込、陸揚の可能な水域であるならば、すべで ‘harbour’ と呼んでよい、と定めている。
こうなると、もはや、harbour も port も原意をはなれて、両者区別なしに用いられているわけである。
この点、ドイツ語では、語源的に英語の port に相当する Ford, Förde, Furt がほとんどもっぱら「入江」「浅瀬」の意に用いられ、他方、英語の harbour に相当する Hafen, Haven が「港」「商港」の意に用いられているのは、実に興味ふかい。 イギリスとドイツと、所を異にして、原意と用語例とが逆の関係になっている。
ドイツには有名な商港として Bremenshaven があり、また Cuxhaven, Whilhelmhaven などの地名もある。 (イングランドにも、北部西海岸の古い港として Whitehaven がある。)
ドイツには有名な商港として Bremenshaven があり、また Cuxhaven, Whilhelmhaven などの地名もある。 (イングランドにも、北部西海岸の古い港として Whitehaven がある。)
ついで、おもしろいのは、デンマークの首都コペンハーゲンである。
イギリス風に Copenhagen と言えば何が寓意されているか、ちょっと、わかりかねるが、デンマーク流に Köbenhavn と書くと、Köben-havn であって、 “havn” はドイツ語の Haven または Hafen (つまり、「港」)である。
なお、デンマーク語で “Köbe” はドイツ語のkaufen (買う)、英語の cheap(安価の)と同系の言葉であって、Köbenhavn は、もと、Kaufenhafen または commercial port、すなわち「商港」の意である。ちなみに、The Black Book of the Admiralty を見ると、コペンハーゲンは、古くは “Kopmanhaven” と書かれている。Kopman は chapman, cheapman、 すなわち「商人」の意である。
イギリス風に Copenhagen と言えば何が寓意されているか、ちょっと、わかりかねるが、デンマーク流に Köbenhavn と書くと、Köben-havn であって、 “havn” はドイツ語の Haven または Hafen (つまり、「港」)である。
なお、デンマーク語で “Köbe” はドイツ語のkaufen (買う)、英語の cheap(安価の)と同系の言葉であって、Köbenhavn は、もと、Kaufenhafen または commercial port、すなわち「商港」の意である。ちなみに、The Black Book of the Admiralty を見ると、コペンハーゲンは、古くは “Kopmanhaven” と書かれている。Kopman は chapman, cheapman、 すなわち「商人」の意である。
英語の “cheap” はドイツ語の kaufbn(買う)に形が実によく似ていて、もとの意味は「購入、買物」であった。 ところが、買物(cheap)のうちでも「上手な買物」(a good cheap; フランス語の bon marché)が特に人々の話題になって、もと名詞であった cheap は、次第に、形容詞「割安の、安価な」を意味するようになり、遂には、英語で “cheap” と言えば、ほとんどもっぱら、形容詞「安価な」を意味するようになった。
Cheap の原意である「買物、購入」がその名残りをとどめている英語としては、わずかに、chapman (行商人)くらいであろうか。
Cheap の原意である「買物、購入」がその名残りをとどめている英語としては、わずかに、chapman (行商人)くらいであろうか。