京都御苑は、京都御所、大宮・仙洞御所を囲む面積や約65haの公園で、東西約700m、南北約1300mの広大な敷地には、明治維新まで、多くの宮家や公家の邸宅が建ち並んでいた。明治二年(1869年)、明治天皇の東京遷都に伴って多くの公家たちも東京に移住し、御所周辺は荒廃したが、その後、皇室苑地として整備されたのが現在の京都御苑の始まりである。
所在地 : 京都市上京区京都御苑
京都御苑の案内図
桂宮邸跡
桂宮家は、別邸として桂離宮を造営した智仁親王を初代とする親王家である。京都御苑の本邸には、泉や茶屋などがあったと伝えられている。
近衛池
近衞邸跡
五摂家の一つで、摂政や関白を多く出した近衞家の邸宅跡で、枝垂れ桜の大木が約60本植わっている。
京都御所、朔平門
京都御所、皇后門
京都御所
清水谷家の椋
この大きなムクの木は、樹齢約300年といわれ、この辺りが清水谷家という公家の屋敷であったことから「清水谷家の椋」と呼ばれている。
西園寺邸跡
西園寺家は、琵琶の宗家で、鎌倉時代の公卿・西園寺公経が今の金閣寺の地に別荘・北山堂を造った際、妙音天あるいは妙音弁才天という音楽神を祀る妙音堂も建てたと言われており、この地へは明和六年(1769年)に移されたといわれている。
西園寺邸跡内の白雲神社
宗像神社
明治維新までは、花山院家の邸地であった。藤原北家の花山院家は、藤原道長の孫で関白師実の次男左大臣家忠を祖とし、孫の忠雅が太政大臣にとなり清華家を確立。花山法皇の東一条殿を家忠が拝領し、花山院と称した。
九條邸跡
五摂家の一つである九條家の邸宅跡で、九條池を囲む庭園が整備されており、九條家の遺構である茶室の拾翠亭と九條家の鎮守社の厳島神社がある。
九條池
左は拾翠亭(しゅうすいてい)、右は厳島神社
拾翠亭は、九條家の現存する唯一の建物で、約200年前の江戸時代後期に建てられたと伝えられている。数寄屋風書院造りで、当時は茶会のための離れとして使用された。
九條池
九條池と高倉橋
厳島神社
鷹司邸跡
鎌倉時代中頃に、近衛家からわかれた五摂家の一つ。
京都仙洞御所
仙洞御所は、退位した天皇の住まいの美称として用いられ、貴人の住まいを「御所」ということから、「仙洞御所」と呼ばれた。上皇・法皇は退位後、内裏から退去し仙洞御所に移ることを常とした。また、仙洞御所は、「院」とも呼ばれ、上皇・法皇の別称として使われた。
仙洞御所の正門