鳥羽離宮跡公園(とばりきゅうあとこうえん)は、鳥羽離宮南殿跡を鳥羽離宮公園として整備された公園で、国の史跡に指定されている史跡公園である。
鳥羽離宮は、白河天皇が退位後に院政の拠点として、応徳三年(1086年)に造営されたもので、南殿は鳥羽離宮で最初に造営された宮殿である。また、この地は鳥羽伏見の戦いの古戦場跡でもある。
鳥羽離宮は、この南殿と北殿、東殿、田中殿、馬場殿などがあり、これらは淀川につながる大きな池沼の岸辺に配置されていたものである。
所在地 : 京都市伏見区中島御所ノ内町
鳥羽離宮跡公園の出入口
鳥羽離宮南殿跡
「鳥羽伏見の戦い」の開戦の地
鳥羽伏見の戦いの布陣図
秋ノ山
公園の北側にある土盛りは、離宮の庭園に設けられた築山の遺構「秋ノ山」とされており、鳥羽離宮の中で数少ない遺跡である。丘の上の碑は、鳥羽伏見の戦い顕彰碑。
秋ノ山
鳥羽殿跡
鳥羽殿跡は、鳥羽離宮跡公園の南隣に位置し、鳥羽離宮で最初に造営された南殿の跡地である。南殿の御所は寝殿造りで、御堂として証金剛院があった。
史跡 鳥羽殿跡の石碑
鳥羽離宮 田中殿跡(たなかどののあと)
鳥羽上皇が、28年間、法皇として院政を行い、法皇が離宮内に造営した最後の御所で皇女・八条院のために建立された。現在は、田中殿公園として整備されている。
所在地 : 京都市伏見区竹田田中殿町
史跡 鳥羽離宮 田中殿之跡の石碑