第74代 鳥羽天皇(とばてんのう)

 

        御陵名 : 安樂壽院陵

             (あんらくじゅいんのみささぎ)

        御 父 : 堀河天皇

        御 母 : 贈皇太后苡子

        陵 形 : 方形堂

        所在地 : 京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町

 

白河上皇が造営を始めた鳥羽離宮は、鳥羽上皇に引継がれて壮大な離宮として完成し、後白河院政期に至るまで政治の舞台となった。鳥羽離宮の東側には、鳥羽東殿と称される安樂壽院は、保延三年(1137年)に建立された。平安時代後期の保延五年(1139年)、当時の鳥羽法皇はこの地を自らの陵所に定めて三重塔(本御塔)を建てた。鳥羽天皇は、保元元年(1156年)に安楽寿院御所で崩御され、三重塔(本御塔)の下に埋葬されたとされている。その後、三重塔は焼失したため、現在地に法華堂が建てられた。

 

 

 

 

 

鳥羽天皇 安樂壽院陵の拝所

 

 

 

 

鳥羽離宮の冠石

鳥羽天皇が譲位した後、白河天皇が建てた鳥羽離宮に入り、殿舎・仏堂などを建てた時に、この石の上に冠を置き、ここを中心として造営したと伝えられている。

 

 

 

第74代 鳥羽天皇の御陵印(宮内庁 桃山陵墓監区事務所)