天石立神社(あめのいわたてじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、平安時代の延喜式神名帳に戸岩谷の「天乃石立神社」と記載のある式内社である。当神社の御神体は拝殿の背後に鎮座する、扉の形をした巨岩であり、前伏盤、前立盤、後立盤の三つに割れた巨石である。
伝説では、神代の昔に高天原で手力雄命が天岩戸を引き開けた時、力余ってその扉石が、虚空を飛来し、この地に落ちたとされる。戸盤明神、戸岩谷神社、神戸岩神社ともいい、天石門別神(あめのいわとわけのかみ)と同じ神である。
また、この地は、巨岩が重塁しており、柳生家の修練の場といわれている。正保二年(1645年)に但馬守宗矩は参道を修理して並木を植えており、宝永二年(1705年)に柳生宗弘は能舞台を建て石灯籠を寄進、寛保二年(1752年)に柳生俊平も石灯籠を寄進した。
御祭神 : 天照大御神(日向神社)
豊盤門戸命(天石立神社)
櫛盤門戸命(天石吸神社)
天盤戸別命(天立神社)
所在地 : 奈良県奈良市柳生町789
鳥居
拝殿
きんちゃく岩(日向神社:天照大御神)および拝殿
拝殿後方の御神体
御神体のきんちゃく岩および前伏盤
前伏盤が天立神社(天盤戸別命:あめのいわとわけのみこと)
御神体の前立盤(左)および後立盤(右)
天石立神社(豊盤門戸命:とよいわかどのみこと)
および天石吸神社(櫛盤門戸命:くしいわかどのみこと)
御神体
きんちゃく岩、前伏盤、前立盤、後立盤
前立盤は高さ6m、幅7.3m、厚さ1.2mであり、扉の形をしている。
天石立神社から、もう少し奥に行くと、一刀石という中央で割れた花崗岩がある。
一刀石(いっとうせき)
約7m四方の花崗岩で、中央から2つに割れた巨石。
一説では、柳生新陰流の始祖・柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手に剣の修業をしていた際、一刀のもとに天狗を切り捨てたところ、そこには2つに割れた巨石があった。このことから、これを一刀石と呼ぶようになったと伝えられている。