小野妹子(おののいもこ)の墓と伝えられている小さな塚は、科長神社南側の小高い丘の上にあり、塚の規模は東西15m、南北11m、高さ3mの楕円形の墳墓である。

小野妹子は7世紀はじめの推古天皇十五年(607年)に、聖徳太子により日本で初めて遣隋使として、当時の中国の隋に派遣された人物である。

また、妹子が聖徳太子の守り本尊である如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、華道家元・池坊の起こりであるとされることから、現在の塚は池坊によって管理されているそうです。

 

   所在地 : 大阪府南河内郡太子町山田

 

 

道祖小野妹子墓の碑

 

 

 

華道家元の池坊43世により墳墓を修築した碑

「芳権最在慈悲手済度十方世界花」

「大正十一季三月 為道祖墳墓修築竣成記念

 小野妹子後裔華道家元四十三世池坊専啓」

 

 

小野妹子の墓と伝えられる塚のある場所は、妹子を大陸に派遣した推古天皇や聖徳太子の眠る磯長谷であること、そして、妹子が大陸に渡るときに通ったとされる竹内街道の沿道にあるということから、この地が妹子の墓とされている。

 

 

小野妹子の墳