長尾神社(ながおじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、長尾、竹ノ内、木戸、八川、尺土の五か村の総社で、延長五年(927年)の延喜式神名帳には「葛下群 長尾大明神 大 月次 新嘗」の記載がある式内の大社である。鎮座地は、日本最古の官道である竹内街道(613年)や初瀬街道、長岡街道などの古代の主要街道が交差する交通の要衝地であるため、交通安全・旅行安全の神として厚く信仰されてきた。

また、天武天皇が壬申の乱(672年)で勝利して、感謝のしるしに葛下郡一郡を当社に献じられ大和国葛下郡の総社となった。

三代実録には、貞観元年(895年)に従五位上の神階を賜り、弘安四年(1281年)に正二位、享保九年(1724年)には正一位を授けられた。

当社は、古代皇族の長尾氏の発祥地であるといわれ、また、蛇の伝承によると、三輪明神(大神神社)は蛇の頭で、龍王宮(大和高田市)を蛇の胴、当社が尾っぽであるという伝承もある。

 

   御祭神 : 天照大神、豊受大神、水光姫命、白雲別命

   所在地 : 奈良県葛城市長尾471

 

一の鳥居

 

二の鳥居

享保九年(1724年)製の「正一位 長尾明神」の神額の上には、唐破風の屋根がついた珍しい鳥居。

 

 

拝殿

 

 

 

本殿

 

境内社

厳島神社、春日神社

 

 

 

御蔭井跡

当社の伝承では、水光姫命が応神天皇の御代に竹ノ内の三角磐に降臨し、子孫の加彌比加尼に命じて、長尾神社に祀られたとされている。水光姫命は水を守る水神で、井戸の神である。

 

絵馬殿

 

絵馬殿の内部

 

 

 

遥拝所

 

社殿

 

長尾神社の御朱印