新池埴輪製作遺跡(しんいけはにわせいさくいせき)は、継体大王の墓といわれる今城塚古墳のハニワをつくった工場の跡である。発掘調査で、この丘陵一帯は約3万㎡もある日本最古で最大級のハニワ工場であった。

このハニワ工場は、今から1500前に、ハニワを焼く窯18基と工房(作業場)3棟、それにハニワ工人(職人)たちの住居が整っていた。

ハニワ工場は、3時期に約100年間、断続的に操業されていた。最初は、450年頃の太田茶臼山古墳のために窯3基(A群)・工房3棟・住居7棟でハニワをつくっていた。この時は、窯1基と工房1棟を一つのチームが運営し、3チームが同時に操業していた。480年頃には、新たに窯5基(B群)・住居7棟がいとなまれ、番山古墳などのハニワを焼いていた。その後、530年頃に、今城塚古墳のために10基の窯(C群)がつくられ、生産のピークになった。工房は5棟、住居兼用のものであった。

そして、前方後円墳を築かなくなった550年頃に、ハニワつくりも終わった。

 

   所在地 : 大阪府高槻市上土室1丁目

 

 

復元されたA群窯

斜面を利用した窯で、斜面に溝を掘り粘土でドームをかけてある。

 

 

 

 

 

 

ハニワ工場館の入口

 

ハニワ工場館の内部

今城塚古墳のハニワを焼いた、新池遺跡で最大級の18号窯(C群、530年頃)を当時のまま展示してある。

 

 

復元されたハニワ工房

カヤと杉皮で屋根をふいた、高さ約7mの工房。

 

ハニワ工房の内部

 

 

復元された窯