元興寺(がんごうじ)は、元明天皇の和銅三年(710年)に藤原京から奈良の平城京に遷都されるにともない、養老二年(718年)に官大寺として新築移転され、寺名を法興寺から元興寺に改められた。旧境内地は広大であり、現在では伽藍の大半は「ならまち」の下に埋もれてしまったが、旧伽藍の史跡の奈良時代・僧坊遺構が浄土信仰の場として創建時の法灯を今に伝え、平成十年(1998年)に世界文化遺産「古都奈良の文化財」のひとつに登録された。
なお、当初の元興寺は、崇峻元年(588年)に蘇我馬子が飛鳥の地に初めて正式の仏寺建立に着手した寺で、日本最初の本格的伽藍である法興寺が元興寺の前身であり、法興寺は地名により飛鳥寺ともいわれた寺である。
宗 派 : 真言律宗
御本尊 : 智光曼荼羅
所在地 : 奈良市中院町11
電 話 : 0742-23-1377
東門
応永十八年(1411年)に東大寺西南院にあった門を、極楽坊正門として移築したもの。鎌倉時代の四脚門である。
国宝の極楽坊本堂(極楽堂または曼荼羅堂)
元興寺の東室南階大坊(僧坊)の一部であり、智光法師が感得した浄土曼荼羅を本尊とし、寄棟造りに大改築された極楽坊本堂である。極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれ、智光法師の住房が前身とされる。古来、浄土発祥の聖堂として名高い。
外観は、寛元二年(1244年)に改修されたもの。
国宝の極楽堂(本堂)、禅室
法輪館(収蔵庫)
石塔、石仏群
獅子国型仏足石
石塔、石仏群
禅室の北西部石舞台に積み上げられた石塔、石仏群は、寺内および周辺地域から集まったもので、昭和六十三年(1988年)に整備され、新たに田圃の稲の如く整備したことから、浮図田(ふとでん)と呼ばれている。浮図とは仏陀のことであり、仏像、仏塔が稲田のごとく並ぶ場所という意味だそうだ。
板碑五輪塔を中心とした供養塔、阿弥陀仏、地蔵尊、などの石仏類からなり、鎌倉時代末期から江戸時代中期のものが多い。
小子房
泰楽軒(茶室)
国宝の禅室、極楽堂の屋根瓦
極楽堂の北流と西流、禅室の南流の東側の屋根瓦は、一般の本瓦と趣が違い、丸瓦も平瓦も重なり合って葺かれている。これは、飛鳥時代(法興寺創建)の古式瓦を伝えている。法隆寺の玉虫厨子の屋根の表現は、この丸瓦を意識しているとのこと。
弁天社
役行者像と石舞台
国宝の禅室、極楽堂(本堂)
かえる石
国宝の極楽坊禅室(僧坊)
元興寺の東室南階大坊の四坊分が残った僧坊であり、禅室とも呼ばれ、念仏道場として著名であった。鎌倉時代に改築され、大仏様式の手法を軒廻りに残している。
本堂の極楽堂(国宝)
元興寺「智光曼荼羅」の御朱印
智光曼荼羅は、智光法師が夢に観た阿弥陀仏の極楽浄土を描いたもの。