光明寺(こうみょうじ)は、京都の西山の麓の粟生広谷の地に建久九年(1198年)に法然上人の弟子になった熊谷蓮生法師(熊谷次郎直実)によって、御堂を造立したのが始まりである。そして、法然上人を開山一世と仰ぎ、熊谷蓮生法師は二世となり、法然上人より「念仏三昧院」の寺号を頂いた。

なお、この地は、承安五年(1175年)に法然上人が専修念仏の確信をえて、比叡山を下り、粟生の里を念仏の教えを広め始めるために選ばれた地で、念仏発祥の地とし、「浄土門根元地」の論旨を正親町天皇より賜った。

 

*宗祖法然上人立教開宗850年記念法要は、来年の令和六年4月19日~25日です。

 

   宗 派 : 西山浄土宗

   御本尊 : 法然上人

   所在地 : 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1

   電 話 : 075-955-0002

 

 

 

「浄土門根元地」石標

 

総門

 

左はもみじ参道、右は表参道

 

表参道

 

 

御影堂(みえどう)

宝暦三年(1753年)に再建されたもので、当山の中心になるお堂で、御本尊の法然上人自作の「張り子の御影」を安置している。

御影堂の背後の小高い丘の上に、法然上人の御遺骨を安置している御本廟がある。

 

 

阿弥陀堂

寛政十一年(1799年)に再建されたもの。御本尊の阿弥陀如来像は六尺七寸(2m)以上の大きな像。

 

 

勢至堂

 

圓光大師御本廟の石碑の上の小高い丘の上に、御本廟がある。

 

菩提樹

左側は、圓光大師(法然上人)石棺。

 

観音堂

 

鐘楼

 

御影堂

 

 

法然上人御火葬跡

建暦二年(1212年)に法然上人は80歳でご往生され、ご遺骸は京都東山の地に一度は埋葬されたが、嘉禄三年(1227年)に奈良や比叡山などの迫害から逃れるため、東山の大谷から京都太秦に移し、さらに粟生の地に再度移して荼毘に付した。

 

勅使門

 

釈迦堂

 

鎮守社(八幡宮・熊野宮)および高橋茂右ヱ門屋敷跡の碑

 

もみじ参道

 

薬医門

 

もみじ参道

 

光明寺「浄土門根元地」の御朱印