四天王寺(してんのうじ)は今から約1400年前の推古天皇元年(593年)に推古天皇の摂政皇太子であった聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のために建立した日本仏法最初の官寺であり、外交・内政の両面の拠点とされた。

排仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子が戦った時、蘇我馬子側の聖徳太子が四天王像を彫り、「戦勝したら、四天王を安置する寺院を建立する」と祈願したと日本書紀に記されている。

四天王寺の寺域は、3万3千坪(約11万㎡)であり、堂塔伽藍は創建以後、度重なる戦火天災に遭い、その都度再建され、寺域と伽藍配置は飛鳥時代の創建当初の姿を伝えており、境内全域が史跡に指定されている。

昭和二十年(1945年)の空襲により七堂伽藍の大半は焼失したが、昭和三十八年(1963年)に飛鳥時代創建当初の様式の「四天王寺式伽藍」に再現復興された。

 

   宗 派 : 和宗

   御本尊 : 救世観世音菩薩

   所在地 : 大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号

   電 話 : 06-6771-0066

 

石の鳥居

永仁二年(1294年)に忍性上人により、石造りに改められた。

 

極楽門

 

西重門(中心伽藍への入口)

 

 

五重塔および仁王門(中門)

五重塔は昭和三十四年に再建されたもの。最上部層に舎利塔を奉安している。

 

金堂

昭和三十六年に再建された建物で、四天王寺の本尊・救世観世音菩薩が安置され、四方には四天王像を祀っている。堂内の西に舎利塔、東に六重金塔を配置している。

 

金堂

 

あべのハルカスおよび中門(仁王門)・五重塔・金堂

 

金堂と五重塔

 

 

大師堂

 

阿弥陀堂

 

 

六時堂

 

石舞台と六時堂

 

仁王門

 

南大門

 

四天王寺「大悲殿」の御朱印

 

*四天王寺式伽藍

南から北に向かって、中門、五重塔、金堂、講堂の主要な堂宇が一直線上に並び、それを回廊が囲む建築様式を「四天王寺式伽藍」といい、日本で最も古い伽藍配置様式である。