泉涌寺(せんにゅうじ)は、天長年間(824~834年)に弘法大師が草庵を結んで法輪寺と称したのが始まりとされる。斉衡二年(855年)に左大臣・藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて仙遊寺と称するようになり、建保六年(1218年)に月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が宇都宮信房からこの地の寄進を受け、開山した。俊芿は、宋の法式を取り入れた大伽藍の造営を志し、嘉禄二年(1226年)に主要伽藍が完成した。その時、寺地の一角から清水が涌き出たことから泉涌寺に改称された。

仁治三年(1242年)に四条天皇が12歳で崩御された際、当山で葬儀が営まれ、山稜が当寺に造営された。以来、天皇の御陵となって、皇室の菩提所としての香華院となり、四条、後水尾天皇から桃園天皇までの月輪陵(つきのわのみささぎ)と光格、仁孝天皇の後月輪陵、孝明天皇の月輪東山陵があるため、泉涌寺は御寺(みてら)と呼ばれている。

 

   宗 派 : 真言宗泉涌寺派

   御本尊 : 三世三尊仏

           釈迦如来(過去)

           阿弥陀如来(現在)

           弥勒如来(未来)

 

   所在地 : 京都市東山区泉涌寺山内町27

   電 話 : 075-561-1551

 

総門

 

大門

慶長年間の御所内裏の南門を寛永年間に移築した四脚門。

 

 

楊貴妃観音堂

六羅漢像の中央に聖観音(楊柳観音)が安置されており、湛海律師が寛喜二年(1230年)に南宋から請来した。像容の美しさから、玄宗皇帝が楊貴妃の面影を写させた像との伝承で、江戸時代に楊貴妃観音と呼ばれ信仰された。

 

 

心照殿(宝物館)

 

降り参道

 

仏殿

寛文八年(1668年)に四代将軍・徳川家綱にとり再建された本堂。運慶作と伝えられる、阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三尊仏が安置されており、現在・過去・未来の三世をあらわしている。また、天井には雲龍図、本尊背後に飛天図、裏壁に白衣観音が描かれており、すべて狩野探幽の筆である。

 

舎利殿

慶長年間に京都御所の建物を移築したもの。

釈迦の歯(仏牙舎利)を奉安する霊殿で、安貞二年(1228年)に俊芿律師の弟子・淡海律師が宋朝より将来し祀られたものである。また、寛喜二年(1230年)に韋駄天像・月蓋長者像が将来され安置されている。舎利塔の中には、仏牙舎利が納められ、左右には月蓋長者・韋駄天が従っている。

 

舎利殿と仏殿

 

霊明殿唐門

 

 

霊明殿

歴代天皇の後尊牌(位牌)をお祀りしている場所である。現在の霊明殿は、明治十七年(1884年)に明治天皇により宮内省が再建したもので、殿内は内陣・中陣・外陣に分かれ、内陣は5室の御厨子となっている。歴代天皇・皇后の尊牌を安置している。

 

霊明殿

 

霊明殿

 

陵墓

 

 

月輪陵(つきのわのみささぎ)

四条天皇、後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれている。

 

勅使門

 

本坊

 

 

 

仏殿と舎利殿

 

泉涌寺水屋形

泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形で、寛文八年(1668年)に再建されたもの。

 

浴室

 

境内

 

泉涌寺「霊明殿」の御朱印