屏風杵築神社(びょうぶ きつきじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、聖徳太子が斑鳩と明日香を行き来した筋違道(すじかいみち)、別名・太子道に面した神社である。聖徳太子がこの地で休息した時、従者の持つ弓をとって地を討ち掘ると、冷水がこんこんと湧き出たとされている。以降、太子がこの地を通るときは、この水を愛飲したと伝えられている。当神社は、出雲大社系であり、御祭神は須佐男命である。天和四年(1684年)に牛頭天王の石灯籠が建立され、享保九年(1724年)に境内に弁財天、阿弥陀堂、白山権現が建立された。その後、明治の廃仏毀釈により、牛頭天王宮から杵築神社に改称された。

また、太子道を挟んで真向いの白山神社には、太子が腰掛けられて休憩をとられたと伝えられる「腰掛石」がある。

 

   御祭神 : 須佐男命(すさのおのみこと)

   所在地 : 奈良県磯城郡三宅町屏風115

 

 

 

拝殿

 

おかげ踊り絵馬

慶応四年(1868年)に奉納されたもので、奈良県指定有形民俗文化財に指定されている。

 

本殿

 

本殿

 

境内社には、厳島社、稲荷社、八王子社をお祀りしている。

 

屏風の清水

聖徳太子が休息したこの地で、従者の弓で地を打ち掘ったところ、冷水が涌き出たとされる。

 

 

 

屏風杵築神社の境内

 

白山神社

屏風杵築神社の真向かいに鎮座している。

所在地:奈良県磯城郡三宅町屏風127

 

黒駒に乗る聖徳太子像

聖徳太子が愛馬の黒駒に乗り、従者・調子麿を従えて、斑鳩宮から飛鳥の小墾田宮へ通われた太子道を行き来された。

 

白山神社の社殿

 

聖徳太子の「腰掛石」