飽波神社(あくなみじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、聖徳太子が創建したと伝えられている。聖徳太子が飽波葦垣宮に滞在中、夢で東方に五色の雲がたなびき霊剣が現れるのをみて、素戔嗚尊が牛頭天王となって顕現したと思い、飽波宮に牛頭天王の祠をつくったのが始まりとされている。江戸時代には牛頭天王社と称していた。

当神社の前は、聖徳太子が住まいの斑鳩宮から推古天皇の宮殿のある飛鳥・小墾田宮(おはりだのみや)とを愛馬の黒駒で行き来したと伝えられる「筋違道(すじかいみち)」である「太子道」が通っていたとされる。境内には、聖徳太子が腰を掛けたと伝えられる「腰掛石」がある。

 

   御祭神 : 素戔嗚尊

   所在地 : 奈良県生駒郡安堵町東安堵1379

 

 

拝殿

 

 

本殿

本殿の左右には、境内末社として、住吉社、水分社、神明社、春日社が鎮座。

 

 

 

本殿の背後

 

太子腰掛石

聖徳太子が座ったとされる「腰掛石」。太子が愛馬の黒駒に乗り斑鳩から飛鳥へ通ったおり、休憩時に腰を掛けたといわれている。