源光庵(げんこうあん)は南北朝時代の貞和二年(1346年)に臨済宗大徳寺二代・徹翁国師によって開創された。その後、江戸時代の元禄七年(1694年)に加賀の大乗寺二十七代・卍山道白(まんざんどうはく)禅師が当寺に住持し、以降は曹洞宗に改まった。本堂は、元禄七年に卍山禅師に帰依した金沢の富商・中田静家居士の寄進により建立されたものである。また、開山堂は享保四年(1719年)に建立されたもので、復古堂とも称し、卍山禅師の木像を安置している。本堂に安置されている霊芝観世音は、天和元年(1681年)に卍山禅師が京都の宇治田原の山中で感得された霊芝自然の観音像であり、第111代・後西天皇の崇敬厚く、宮中にて御供養されたことから「開運 霊芝観世音」と称され、世に広く信仰されている。

本堂内の天井は、伏見桃山城から移築したもので、慶長五年(1600年)の伏見城の戦いで、徳川軍の鳥居元忠一党が石田三成の軍勢に破れ自刃した際の痕跡である血天井である。

 

   宗 派 : 曹洞宗

   御本尊 : 釈迦牟尼仏

   所在地 : 京都市北区鷹峯北鷹峯町47

   電 話 : 075-492-1858

 

源光庵への入口

 

総門

 

 

山門

 

鐘楼

 

山門

 

本堂

御本尊の釈迦牟尼仏、脇立に阿難尊者、迦葉尊者を祀っている。

 

開山堂(復古堂)

 

庫裏

 

 

 

血天井

伏見桃山城の遺構。慶長五年(1600年)七月、徳川家康の忠臣・鳥居彦右衛門元忠一党1800余人が、石田三成の軍勢と交戦し討死し、残る380余人が自刃して相果てたときの痕跡。

 

 

 

霊芝観世音

 

 

鳥居元忠一党之霊位

 

 

 

悟りの窓(左)および迷いの窓(右)

悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表わし、円は大宇宙を表現している。

迷いの窓は角型に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表わしているとのこと。

 

 

 

源光庵庭園

庭園は、北山を借景とした枯山水庭園。

 

 

 

庭の中の亀

 

書院

 

襖絵

江戸時代の山口雪溪筆の山水墨画

 

屋久杉屏風(右)

 

本堂(右)と開山堂

 

源光庵「霊芝観世音」の御朱印