崇道神社(すどうじんじゃ)は、奈良末期から平安初期の皇族・早良親王を祀っている。早良親王は、光仁天皇の皇子で、桓武天皇の実弟である。延暦四年(785年)に藤原種継の暗殺事件が起こり、早良親王はその首謀者として逮捕され、乙訓寺に幽閉された後、淡路に流される途中、無実を主張して絶食し死亡した。その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都に悪疫が流行したため、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために延暦十九年(800年)に崇道天皇と追号を贈り、崇道神社は貞観年間(859~877年)にこの地に創建されたとされている。そして、墓を現在の奈良市の八島陵へ改葬した。
また、明治四十一年(1908年)には、近隣の延喜式内社の伊多太神社と小野神社を崇道神社に合祀された。
御祭神 : 早良親王(さわらしんのう)
所在地 : 京都市左京区上高野西明寺山町34
鳥居
参道
拝殿
本殿
天照皇大神宮・豊受皇大神宮および式内社の出雲高野神社(右)
恵美須大神・日吉大神・貴布彌大神
春日大神・赤山大神・十二社大神
伊多太神社
伊多太神社
御祭神の伊多太大明神を祀っており、湧水の神・農業の神である。伊多太は湯立の訛であるとのこと。
この上の山中に、小野毛人朝臣の墓がある。天武天皇の官僚であった小野毛人(おののえみし)は、小野妹子の子で、天武六年(677年)に没したとされている。
小野神社(式内社)
小野一族を祀っており、御祭神は小野妹子、小野毛人。
如意輪観世音大菩薩
役行者石像