唐招提寺(とうしょうだいじ)は南都六宗の一つである律宗の総本山で、鑑真和上によって開かれた。

唐の高僧・鑑真が、日本の求めに応じて、苦難のすえ失明しながら、6度目の渡航でようやく来日をはたされたのは、天平勝宝五年(753年)であった。そして、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地を与えられて、天平宝字三年(759年)律宗の道場として「唐律招提」を開いたことに始まる。その後、貴族たちの寄進により、本格的な寺院として整えられ、官寺に準ずる唐招提寺となった。

鑑真大和上は、10年間を日本で暮らし、最後の5年間を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に戒を授け、天平宝字七年(763年)に76歳で亡くなった。その後、伽藍の造営は、鑑真和上とともに来日した弟子たちに引き継がれ、約50年をかけて完成させた。

 

   宗 派 : 律宗

   御本尊 : 盧舎那仏(るしゃなぶつ)

   所在地 : 奈良市五条町13-46

   電 話 : 0742-33-7900

 

南大門

 

南大門の勅額

 

 

 

金堂(国宝)

奈良時代に建立された天平様式の金堂内陣には、御本尊・盧舎那仏坐像を宇宙の中心、釈迦の本地物として中尊に、その東方に現世の苦悩を救済する薬師如来立像、西方に理想の未来へ導く十一面千手観世音菩薩立像の三尊が配されている。そして、本尊の脇侍には梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅には四天王立像が諸尊を守護している。

 

 

鼓楼(ころう)(国宝)および礼堂・東室

鼓楼には、鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、舎利殿とも呼ばれている。

右側の南北に長い建物は礼堂・東室で、従来は僧侶の起居した僧坊であった。

 

宝蔵・経蔵(ともに国宝)

 

金堂および講堂

 

講堂(国宝)

鑑真和上が寺を開創するにあたり、平城宮東朝集殿を朝廷より賜り移築したもの。平城宮唯一の宮殿建築の遺構。弥勒如来坐像、持国天・増長天立像が安置されている。

 

開山堂

 

開山堂

鑑真大和上御身代り像を安置している。

 

鑑真和上坐像(唐招提寺ホームページの画像より)

 

御影堂(みえいどう)

鑑真和上坐像(国宝)を安置している。

 

御廟への参道

 

 

 

 

開山御廟

境内の北東の奥の静かな場所に、鑑真和上の墓所がある。

 

 

戒壇

 

 

戒壇(かいだん)

僧となるための授戒が行われる場所。創建時に築かれたが、中世に廃され、その後、再興されたが火災により建物は失われた。現在は、残った三段の石段の上に、インド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれている。

 

 

「盧舎那佛」の御朱印

 

「鑑真大和上御影」の御朱印