第11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)

 

        御陵名 : 菅原伏見東陵

             (すがわらのふしみのひがしのみささぎ)

        御 父 : 崇神天皇

        御 母 : 皇后御間城姫命

        墳 形 : 前方後円

        所在地 : 奈良県奈良市尼辻西町

 

奈良・西ノ京の唐招提寺や薬師寺の北側の尼ヶ辻に、大規模な前方後円墳の宝来山古墳がある。奈良県内では屈指の濠を有する優美な御陵として有名で、全長は227mもあり周囲をめぐらす濠には多くの水で満たされている。古墳時代の4世紀後半に築造されたとみられ、宮内庁により第11代垂仁天皇の御陵と定められている。また、御陵の南東の濠内に御陵に寄り添うように浮かぶ小さな島は、田道間守(たじまもり)の墓と伝えられている。 垂仁天皇は、野見宿禰の献言により殉死を禁止し、埴輪に替えたとの説がある。

 

 

 

垂仁天皇御陵の前方後円墳

 

 

 

 

 

垂仁天皇 菅原伏見東陵の拝所

 

 

 

 

垂仁天皇御陵の前方後円墳および田道間守の墓(手前の円墳)

 

 

田道間守の墓(たじまもりのはか)

田道間守は、記紀にも記載のある渡来人の天日槍の子孫とされる。垂仁天皇90年に、天皇の命により「非時香具菓(ときじくのかぐのこのみ)」(橘の実)という不老不死の果実を求めて常世の国に行った。10年後その実を持ち帰ったが、垂仁天皇は垂仁天皇99年に、すでに亡くなっていた。嘆き悲しんだ田道間守は、非時香具菓を垂仁天皇の御陵に捧げ、御陵の前で亡くなったとされている。

古代では、果物も菓子とされていたことから、田道間守は菓子の祖とされている。

 

菓祖神 田道間守命御塚拝所の碑

 

田道間守命御塚拝所

 

 

 

第11代 垂仁天皇の御陵印(宮内庁 畝傍陵墓監区事務所)