久米御縣神社(くめのみあがたじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、延喜式神名帳(927年)に記されている式内社で、「大和国高市郡 久米御縣神社 三座」の小社として列せられている。
来目(久米)に関わる伝承に日本書紀の垂仁天皇二十七年に「屯倉(みやけ)を来目邑に興す」とあり、久米村の地に王家の米倉がもうけられており、久米氏の祖神として奉斎された神社で、かなり古い創建と思われる。その後、久米氏の退潮で当社も衰えたが、この地に久米寺が建立され、寺域の一画に鎮守として天神社または久米宮として再建された。
明治元年(1868年)の神仏分離により、久米寺より分離され、神社は久米村により奉斎され、創建当初の久米御縣神社に改められた。
御祭神 : 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
大来目命(おおくめのみこと)
天槵根命(あめのくしねのみこと)
所在地 : 奈良県橿原市久米町786
拝殿
本殿
本殿に向って左の境内社は、誉田別命・天児屋根命・大日霊貴命を祀っており、向かって右には熊野神社(伊弉冉命)を祀っている。
本殿