壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)は、河内源氏の発祥の地と伝えられており、京都市の六孫王神社、兵庫県川西市の多田神社と並ぶ源氏三神社の一つである壺井権現社がある。

 

寛仁四年(1020年)に、多田義仲の四男・源頼信は河内守に任ぜられ、この地の香呂峰に館を営み、河内源氏の祖となった。翌年、長子・源頼義が誕生し、河内源氏の二代目となる。 長歴二年(1038年)に、頼義の長子・八幡太郎義家が当地に誕生し、続いて次男・加茂次郎義綱、三男・新羅三郎義光、等が誕生し、当地は河内源氏の発祥の地となった。

 

後冷泉天皇の永承六年(1051年)に、奥州に安倍頼時とその子・貞任、宗任の反乱が起こり、源頼義に賊を平定するようにとの勅命が下り、頼義は陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられ、出陣の時に石清水八幡宮に詣で戦勝を祈願し、苦戦の末、康平五年(1062年)に賊を平定した。 そして凱旋後、康平七年(1064年)に、社殿を建立し石清水八幡宮の神霊を遷し祀ったのが、壺井八幡宮の始まりである。

 

   御祭神 : 誉田別尊、仲哀天皇、神功皇后

   所在地 : 大阪府羽曳野市壺井605-2

   電  話 : 072-956-2824

                     

 

 

 

 

左・壺井権現社と右・壺井八幡宮

 

壺井八幡宮

 

 

 

壺井権現社

天仁二年(1109年)に、源義家の五男・源義時が、夢のお告げにより、八幡宮の境内西方に社殿を造営し、頼信・頼義・義家の三将軍を奉斎し、壺井宮と称して河内源氏の崇廟とした。

 

   御祭神 : 源頼信公、源頼義公、源義家公、源義綱公、源義光公、源義時公