「きみはそんなに新しい粒子が好きか」
『量子論の育ての親』と称されるかのニールス・ボーアは、そう批判したと言います。
では、何を批判したのか。それが日本の物理学者、湯川秀樹の唱えた『中間子論』なのです。

メソン・カノンの『メソン』とは中間子(meson)のことです。
「中間子ってなんぞや?検索してみよ」と思い立って、とりあえずWikipediaで調べてみても量子論を学んだことがなければ何を言ってるのかさっぱりだと思います。現に高校時代の私がそうだったので(笑)
名前の由来だけ伝えておくと、その質量が電子と核子(陽子と中性子の総称)の質量の中間だと予想されたので中間子となりました。



力を媒介する粒子たち

さて『重力子』というものを知っていますか?
いまだ「実験的には」観測されていませんが「理論的には」存在するとされる仮説上の粒子です。空間を重力子が伝播することで『重力』が作用すると考えられているのです。

また同様に「光は電磁波である」というのを聞いたことがありますか?(この『光』とは、私たちが目で感じとれる『可視光』以外にも赤外線や紫外線も含むことに注意)。
この事実が発見されるまでに、それこそ電磁気学そのものの歴史とでも言うべき長い時間がかかった訳ですが、簡潔に言えば
「電磁波の速度測ってみたら秒速30万キロだった。これって光の速度じゃん」
ということです。ここに来て光が空間を伝播することで『電磁気力』が作用するということが分かったのです。とくに、このときの光を、粒子であることを強調して『光子』と呼んでいます。

――と、ここまでで
重力は重力子がつかさどる。
電磁気力は光子がつかさどる。
というところまで述べました。

メソン(中間子)について知りたいのに重力子とか光子とか……どこに向かって話が進んでいるの?と思われたでしょうか。
あるいは察しが良い方はもう気づいているかもしれません。
そう、『中間子』とは
『ある力』をつかさどる粒子として予言され、その後実際に観測された粒子」のことなのです。



『ある力』とは何か

原子はどういう形だったか思い出してください。原子核のまわりに電子がありましたね。電子が原子核のまわりにを回っていられる(厳密には少し違いますが)のは原子核と電子の間に電気的な力が働いているからなのです。

では次に、原子核というのはいくつかの陽子と中性子――まとめて『核子』――からできていることは高校生時代に教わったことと思います。その教わったとき不思議に感じませんでしたか?
陽子と中性子はまあ置いとくとしても、陽子と陽子ではプラスの電荷とプラスの電荷で反発してしまうじゃないか!
重力があるじゃないか、とは言っても、核子の間にはたらく万有引力なんて取るに足らないレベルのものです。しかし実際には、原子核がひとりでにバラバラになるというのは、核分裂反応でもない限りありえません。

そこで登場するのが『核力』――すなわち中間子(メソン)のつかさどる力なのです。
これはまたの名を、世界の根元的な『もうひとつの力』との対比で、『強い力』とも呼ばれます。この核力が核子の間に働くことで原子核は崩壊しないでいることができるのです。



メソンの大きな特長

ちなみにこの中間子、重力子や光子とは異なる面白い性質を持ちます。

中間子には……質量がある!

中間子の不思議な性質は他にもあるのですが、ただこの一点、ただ質量の有無だけが、核力の興味深いふるまいを説明するのです。
もちろんこう言うからには、重力子・光子の質量はゼロですよ。

中間子は質量(1.7×10^-28kg)を持ちます。このため、
「中間子が光速で動いても、せいぜい2mの1000兆分の1程度までしか到達しない!つまり、核力はそこまでしか届かない!」
ということになるのです(不確定性原理を用いて計算します)。小さすぎて想像もつかない数字なので、陽子の半径を基準にし、ついでに水素原子の半径と比べてみると
  陽子の半径:1
 =中間子の到達距離:2
 =水素原子の半径:50000
となります。(核力の及ぶ距離の短さもさることながら、原子のスカスカ具合も相当なものですよね)。

核力は重力や電磁気力のように無限の彼方まで届く力ではありません。さらに原子の半径は核力の及ぶ範囲よりも、文字通り桁違いに大きいものです。なので「原子核が隣の原子の原子核と引き合う」なんてことはありません。中間子が届かなければ核力は作用しないのです。



まとめ

以上、少々長かったですが中間子(メソン)と核力(強い力)の話は終わりです。慣れてない方には中間子と中性子が紛らわしいと思ったので、くどくどと中間子(メソン)と表記しました。
今回の要点は

・核力は原子核がバラバラにならないための力。
・中間子(メソン)は核力をつかさどる。
・中間子(メソン)の到達距離には限界がある
 =核力は非常に短い距離にしかはたらかない。
・中間子(メソン)の重力子・光子とは異なる性質とは、
 質量があること・種類が豊富であること・寿命があること。



※中間子(メソン)の種類は本筋に絡まないのでとくに説明しませんでした。赤外線だ、紫外線だとは言ってもそれは光の波長が異なるだけで、粒子としては同じ光子です。光子の種類は1つなのに中間子(メソン)は結構な種類があります。

※中間子(メソン)の寿命も本筋に絡まないのでとくに説明しませんでした。 中間子には「2.6秒の1億分の1」寿命があります。中間子はその種類によってさまざまな粒子に崩壊します。しかし光子には寿命がありません。また常に光速であるため、光子自身は時間が流れていることに気づいていません。

余談ですが

エースコンバットのメソン・カノンは、中間子のひとつである『パイ中間子』を崩壊させ『ミューオン(ミュー粒子)』をつくり、これを発射しています。ミュー粒子は『レプトン』と呼ばれる電子の仲間です。つまり荷電粒子砲ですよね。
ミュー粒子の寿命は2.2秒の10万分の1と、これもとても短い時間です。単純に光速で動くと考えると、その到達距離は660m……
「Wikipediaにあるように数kmも飛ばないじゃないか!」
と思うなかれ。実際は「光速に近くなるほど、物体に流れる時間は遅くなる」のです。ミュー粒子は亜光速でメソン・カノンから発射されるので、止まっているも同然な私たちには「ミュー粒子がなかなか崩壊しない」と観測されます。なので数km飛んでも問題ないのです。この光速云々は、みんな大好き特殊相対性理論の話ですね。


「これを題材に記事を更新しようかなー」
というのがいくらか出来たので以下、列挙したいと思います。


・Androidで関数をプロットする方法
・球座標のナブラ・ラプラシアン――直交曲線座標系
・ラグランジアンの落とし穴
・微分方程式の体系
・『ACE COMBAT X』に登場するメソン・カノンの「メソン」って?
・質量、慣性モーメント、次元解析。
・物理学生の味わえるゲシュタルト崩壊――最小作用の原理
・雷について――ゴッドエネルはなぜ敗れたのか
・チェレンコフ放射――エネルと黄猿、どちらが速いのか
・バームクーヘン分割について気づいたこと
・予選決勝法について気づいたこと


物理とか数学の内容ばっかりですね。
とくに『バームクーヘン分割』『予選決勝法』なんて『大学への数学』をやっていた人でないと一生知らない単語でしょう。
大学教養レベルなのになぜ耳にすることがないのか――それを解き明かします。
私自身数式を扱うのが苦手なので、それだけに理解しやすい文章で書いていく予定です。


「その分野の専門じゃないからよく分からない!」
という方でも興味を掻き立てられたり、新しい発見を提供できるような記事になったらと思います


「語句の意味や定義をおろそかにしていたら、


文章の内容がまったく理解できなかった……」


なんてことを大学受験のときにさんざん経験しました。

このブログのタイトルでもある「随想録(=随筆)」について

皆さんはどれだけのことを知っていますか?





以下、ウィキペディアから引用しますと



『筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想や思索、思想を散文によってまとめたもの。一般にはミシェル・ド・モンテーニュの「エセー」(1580年)がこのジャンルの先駆者であり、欧米においては綿密な思索を基にした論文的なスタイルを念頭に置いてこの語を用いることが多いが、日本においては後述する江戸時代後期の日記的随筆のイメージもあって、もうすこし気楽な漫筆・漫文のスタイルを指して用いることが多い』
 ということです。





さて、日本における随筆は

「もうすこし気楽な漫筆・漫文のスタイル」

とありますが、本当にそうでしょうか?



結論から言って、これは大きな勘違いで

日本についても国語の授業などで求められる「随筆」とは

おそらく論文的なスタイルのことなのです。



国語の教科書がある方は、ご準備を。

書いてある随筆を読んでみてください。

その内容や話の展開は、論説文と変わりありませんよね?

(私は家庭教師として中学生の国語を教える際、確認しました)



つまり何が言いたいかというと

「随筆の問題は、論説文と同じようにして解けるんだ!」

ということを覚えて帰ってほしいのです。



現代文においても(もちろん古文においても)

『つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、

心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、


あやしうこそ物狂ほしけれ。』


これを真に受けてはいけませんね(笑)



(専門家じゃないので下手なことは言えませんが、

日本人が随筆を誤解してしまうのは


兼好法師のこの一節が原因なんじゃないかと思っています)




個人的には

「綿密な思索を基にした論文的なスタイル!」

でこのブログを書けたらな、と思っています。





――――――――――――――――――――

需要がありそうなら、ゆくゆくは論説文の解き方も書いてみたいです。