ニュースを見るとセクハラ・アカハラ・パワハラ・○○ハラが溢れかえっている.

先日,ある企業の方と話をしていた時のことである.
「40代後半に入って管理職になった」
「自分は子供の時も,学生としても,社会人としても怒られ,殴られて育った世代です」
「自分が管理職になったら,その下は怒れないし,怒られることのなかった時代になった」
とのことである.
 
かつては,上に怒られるのは当たり前のことであったと思う.
そして,筋の通った上司や先生からは怒られて成長してきた.
これは怒られることで,
人としての正しい判断や行動を教えられてきた面があったと思う.
怒られることはいわば注意であったし,
失敗できないことについて厳しく言われることで,
多少不器用な人間も成長できた面があったと思う.

今は怒れない時代になった.
逆に言えば,
人を育てることができない時代に入ったという気がするのである.
 
すなわち,
これまで怒られることで成長できた人間は,
成長する機会を失って棄てられる時代とも言えよう.
 
ここで,求められる人間性は何か?
昔から言う「やる気のある人間」「真面目な人間」だと考えるようになった.
しかも,それが昔以上にもとめられつつあると思う.
だって,そういう気質の人間しか本当の意味で育てられないもの・・・
 
「やる気のある人間」というのは怒られながらも,
正しい上司や先生であれば,
それは教えて貰っているという認識を持ってついていける人間と定義している.
 
おそらく,
○○ハラが横行する前はあまり意識することなく,
「やる気のある人間が欲しい」と社会では言われていたのではないだろうか?
これは怒られる理由を理解して,
社会や所属組織で起きてはならない過ちを教えて貰っているという認識を素直に持てる人間に他ならないと思う.
 
○○ハラが横行する前は自分にもこのような認識なく,
「やる気のある人間が将来伸びるよ」などど偉そうに言っていたが,
このような時代になって「やる気のある人間」とな何かを認識した気がする.
 
これが教育機関という組織ではどうなって現れるのかについては,別の機会に書きたい.