これは何なんだろうか?ということ。
YouTubeで、
初音の「Tell Your World」を、聞き、
これは、何だろうか?
ということを、あらためて感じ。
YouTubeで、
エヴァの「Beautiful World」を、聞き、
これは、何だろうか?
ということを、あらためて感じた。
その感じが、何なのか?を、考える。。
要するに、「謡い」そのもの、
誰のものでもない「言葉」を、謡うには、
誰でもないヒト、誰でもないヒトの声、の方が、
適している、共感しやすい、という感覚。
その謡いを、ヒトの意識と意識を、直結して、
共有できるのが、真に理想的な形だったが、
長年、実現可能だったのは、地場のリアルな共同体で、
顔のない声を、実空間で合わせることだけだった。
で、ずっと、それを行ってきたけど、最近になって、
オンラインで、顔のない声を、直接、ヒト to ヒトで、
共有することが出来るようになった、のだ。
こっちの方が、脳の中で欲していた、
理想の形式に近いのだ、という感覚。
そして、もうひとつは、キャラクター。
「キャラクター」というのは、要するに、
誰かのようで、誰でもない存在。
物語なり、ある反応系一式を、表出するための、
ただの形式。伝統芸能では「お面」という形をとっていた。
この、誰かのようで、誰でもない存在の方が、
仮託しやすい。自己投影しやすい。共感の依り代としやすい、のだ。
この2点に気づくとき、初音ミクは、
目新しいものではなく、日本人の欲する
普遍的なものの、最新形式にすぎないのだ、とわかる。
だから、人気が不動なのだとわかる。
あとは、その認識の式に、
あの声質とか、ミドリのツインテとかの、
クオリアをかぶせてゆくこと。
当たる当たらないは、このクオリアが決定するが、
原理式=ヒトが芸能(歌や劇)に求めるものの原則が、
忠実に反映されている装置、またはコンテクストだったのだ、と
知ることで、同様の何かを、考えることが出来るのではないか、と、
考える。
