長らく更新しておりませんでしたが、節目のタイミングでしばらくぶりに記事を書かせていただきます。

そう、4月1日付で新しい会社に転職しました。直近1年間、人事の仕事を離れておりましたが、このタイミングで改めて人事の仕事に戻ることになった次第です。と、簡単に言ってしまえばそういうことなのですが、最後に更新した2015年1月から3年ほどの間に、本当にいろいろなことがありまして、激動といいますか、混沌といいますか、とにかく大変な日々でして、そんな日々にひと段落ついたところで、新たな旅への出発を決めたという形です。

MBAを卒業して11年、自分も40代になり、仕事の軸をどうしていくか、という風に考えたときに、1つは同じ会社の中での経験の幅を広げていくこと、もう1つは人事という職種軸の中で違う会社へと経験の幅を広げていくこと、の2方向が考えられたわけですが、自分の中ではこのタイミングとしては後者かなぁという思いもありました。もう少し年齢が上だったら違う選択もあったように思いますけれども。

まぁいずれにしても、会社が変われば、事業も、人も、組織も、風土も、文化も、システムも、価値観も、何から何まで違うので、とても新鮮で興味深いことばかりという状況です。ただ、それなりに年を食っているので、楽しんで眺めているわけにもいきません。それなりに事業に貢献しないとです。まだ数日しか経過していませんが、徐々にペースを上げながら、いろいろと仕掛けていきたいと思っています。

それでは、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
新年おめでとうございます。週末更新をしようと思っていたのですが、年末年始休暇に入って案の定風邪を引き、なかなか熱が下がらずに大晦日を迎えて今に至ります。普段忙しくて気が張っているときは全然寝てなくても風邪などひかないのに、休みに入るとまぁこの様というのは予想していたとはいえ情けない限りです。とは言え、3日間で3週間分の睡眠をとりましたので、今日はすこぶる調子が良くやっぱり睡眠が大切だと改めて感じた今日この頃です。

さて、年も明けましたので今年の抱負を一応書いておきます。書いただけでは意味がないですが、書かないよりは書いた方が意味がある。ブログは公開情報でもあるので、自分に対するプレッシャーをかける意味でも文字に残しておこうと思います。

①毎日1時間、インプットの時間を確保する。
睡眠時間が3時間を切ってくるとさすがにあと1時間削って本など読む気になれないのですが、それでも何とか時間を捻出して、できれば朝の1時間、本を読むなどインプットの時間に使いたいと思います。本当は人と会う方が大切なのだと思いますが、それはそれで別の課題として、まずは自分でコントロールできるところから始めます。

②家族との節目の時間を大切にする。
日々仕事やら育児やらに追われて猛烈な勢いで時間が過ぎていくのですが、だからこそ、節目の時間はもう少し大事にせねばと思うこの頃です。今年は個人的には色々と家族に節目があるので、そこをターゲットに自分の時間の使い方を組み立てたいと思います。

③ちゃんと寝る。
①②を考えるとこれが一番重要かもしれません。平日3時間以上、週末5時間以上、可能な限りまとめて、できる限り布団に入って、最悪でも横になって寝る。このラインを死守したいと思います。睡眠不足は思考力の低下を招くと言われます。知らず知らずのうちに脳みそがダメになってきている気がするので(単なる老化か・・・)、もう一度エネルギー(睡眠)を注入して頑張ろうと思います。

ということで、今年もまた1年間よろしくお願いいたします。
3歳の娘がクリスマスプレゼントにアナ雪のエルサのドレスをもらって大喜び。エルサになりきって歌って踊ってなかなかのパフォーマンスを見せてくれています。「Let It Go」の英語版の歌ももちろん歌詞はまだめちゃくちゃなのですが、歌っているうちにだんだんそれっぽくなってきました。耳から聞いただけでそれを真似しているわけですからすごいですよね。言語学習の本来の姿を目の当たりにしています。

なりきり。自分ではなく、まるで他の誰かになったかのようにその姿や仕草などを真似すること。大人になってしまうと中々難しいのだと思います。もちろん、俳優さんなどはそれを職業としていますし、それが難しいからこそそういう職業が存在するということでもありますが。ネットの記事で以前渡辺謙さんの英語上達が早かったと話を読んだことがあります。ラストサムライで英語を話すサムライ役を演じたときに初めて習って覚えたのだとか。これもある意味ではその役柄になりきることで単に英語を学習する以上に、5感をフルに活用して言語を身につけていった好例なんだろうと推測します。

なりきりパワー。なりきることで得られる様々な力をあえてそう呼んでみます。なりきる対象は必ずしも実在の人物ではなくても良いのだと思います。例えば、プロスポーツ選手とか優秀なプレゼンターとかは、試合や本番の前にイメージトレーニングを繰り返しやる、という話も聞いたことがありますが、これなんかもなりきりパワーを活用しようという1つの例ではないかと思います。成功して上手くやれている自分になりきる。問題はどこまで徹底してなりきることができるか、でしょうね。

その意味で、冒頭の3歳の娘のなりきりパワーはかなりのものです。恥ずかしさのようなものも全くないのが強みですよね。大人は変に恥じらいやためらいがあるからなかなかなりきれません。それがある種の学習を妨げているとすれば複雑です。なりきりパワー。3歳の娘を見ていて1つ学びがあったように思います。
前回、「雇用問題」についてつらつら書きましたが、最近の新聞を読んでいると、アベノミクスの効果なのか、企業業績の回復からか、賃上げだ、ベースアップだというワードを目にする機会が多くなってきている気がしています。個人的には賃金が上昇するのは悪い話ではないのですが、会社の人事的な観点からすると固定費の上昇は環境変化への対応力を弱めるのでできれば避けたいところです。環境変化が今よりも長いサイクルで企業業績に影響を及ぼしたであろう昔はそれでもよかったのかもしれません。でも、環境が目まぐるしく変わる今日においては、ベアはもちろん、定期昇給という概念すら時代の流れとずれている感がするのは私だけでしょうか。

そうは言いながらも、ある程度中長期にわたっての賃金上昇が見込めないと、一個人としては生活設計ができないという事態が生じます。本来ある程度リスクを取れるはずである会社が、そのリスクを個人に転嫁する、という構図でしょうか。かなりの高所得層は別にして、普通の個人が背負えるリスクなんて高が知れていますから、景気変動や企業業績に応じて雇用や賃金が簡単に変動しては生活が困難になる、経済学風に言えば労働力の再生産が困難になるわけです。個々の企業レベルで考えれば、それでも労働市場から代替人材を採用すれば良い、ということになりますが、マクロ的に考えると、じわじわと労働力の質の低下に繋がるように思います。これはこれで問題が大きいですよね。

なんてことを色々考えていくと、一筋縄では解決できない問題の複雑な連鎖があるように思えてきます。だから社会科学の偉い学者様がいくら頑張っても有効な答えが得られないのだと思いますが。という世界の中で、我々はどう行動すべきか。以前書いた「歴史に学ぶ」の記事ではないですが、どこかでこの社会システムが一気に破たんして文明崩壊、この場合地球文明の崩壊なんだと思いますが、その流れの中で日々を一生懸命生きるのみ、ということかと思います。ということで、今週も頑張っていきたいと思います。
衆議院選が近づいてきました。消費税増が大きな争点ではありますが、廃案になった労働者派遣法の改正案の行方についても人事領域の人間としては興味関心のあるところです。雇用問題と言えば、常時いくつかの論点がありますが、1つは非正規雇用の正規社員化について、もう1つは正規社員の雇用の柔軟化について、これが大きな割合を占めているように感じています。雇用問題の専門家ではありませんが、いくつか思うところがあるので以下つらつらと書かせていただきます。

まず、企業が置かれている環境変化が激しくなる中での雇用の安定化の問題について。簡単に言えば、矛盾しているという話です。企業は存続をかけてある程度の規模の柔軟な雇用の部分を確保しておきたい。一方で、国としては不安定な雇用はできる限り減らして雇用の安定をはかりたい。これを両立することは可能か。まぁ簡単な話ではありませんよね。「職域別常用雇用派遣」、すなわち人事、経理や営業、販売のような職域別に正社員派遣を行うイメージですが、企業内シェアードが社外にも広がっていくような話も含めて、こうした雇用形態がもう少し拡大すれば少しだけ両立する可能性はあります。もちろん、企業特殊性や業務標準化の程度、能力開発の可能性やマッチングの精度など多々問題もあるわけですが。それでも、ただ非正規社員の正社員化を議論するよりはマシな気がします。

もう1つ。世界がフラット化する中での格差問題について。簡単に言えば、ヒトの基礎能力なんて本来はどの国でも同じだとすれば、日本人だけが特に優秀で高い賃金を稼げるなんて話はあり得ず、世界がフラット化する中で世界的に平準化していくだろうという話です。かつては先進国、途上国の南北格差が、今後は1つの国の中での格差問題に置き換わる、という話でもあります。だとすれば1億総中流の議論はもはや成り立たないわけで、それを前提に雇用問題を考える必要がある、という話です。格差解消が雇用政策の目標になりえない、とも言えます。その前提で我々は社会保障含めて、何をどうしていく必要があるのか。マクロ的な解決はかなりしんどいなぁと思う次第です。

というような話も含めて、あまり近視眼的ではない雇用政策を検討してほしいと思います。
先週、母校のMBAの同窓会主催で勉強会があり、リーダーシップ開発をご専門にされているOBの方をお招きしお話を伺う機会がありました。MBAの同窓会。海外だとかなり組織化されたネットワーキングとしての同窓会が発達していますが、日本の国内MBAだとなかなかそこまでの歴史や蓄積も少なく、運営に苦労しているようですが、地道に活動を続けて、ようやくこうしたイベントを内部で開催するに至りました。「あったらいいな」の同窓会、でもありますが、欲張らずに頑張って活動を続けていきたいと思います。

で、肝心の勉強会ですが、色々と刺激的なお話をうかがえました。講師のOBは世界的にも有名なGEのクロトンビルでも教えていた方でして、そこで得た様々な知見をご自身の言葉で我々に話してくださったと理解しました。内容を余り勝手にブログなどに書くわけにもいきませんので、学んだことから1点だけ、ここに記しておきます。

「Self-Awareness」。己を知る、とでも言いましょうか。偉大なリーダーがなぜ偉大なリーダーたりえるか、といえば、この「Self-Awareness」が優れているからだ、というような話です。何かにつけて常に反省し、内省し、自分を省みて己を知る。これって簡単なようで非常に難しいですよね。でも、偉大なリーダーは常にそれができる。それを意識してやっている、ということでしょう。そこが違いなんだという話がとても響いた次第です。

リーダーシップに関しては、世の中にあまたの本や記事が出ていて、そこで展開される理論やフレームワークも無数に存在しています。でも、そこに何か1つの正解があるわけでもなく、じゃぁ全部違うかと言えばそうでもなく、結局は自分が何を信じるか、もう少し言えば、信じて実践するか、という話なのだと思います。その意味では「リーダーシップ論」そのものに意味があるというよりは、それを学んでどう実践するかに意味がある、という方が正しいのでしょうね。

ということで、「Self-Awareness」。かなりハードルが高い話ですが、もう少し自分を振り返ることに時間を使えるようにならねばと気付かされた1日でした。
3連休なので子どもを連れて色々お出かけをしてきました。で、まぁ親バカを発揮して写真をたくさん撮ってきたわけなのですが。いつも思うのですが、後から整理するのが面倒なんですよね。ついつい撮り溜めをしてしまい、後で整理にえらく時間がかかる、というのが常です。今回の場合は、お友達も一緒だったので、さっさと整理してシェアしてあげたいので、その心配は無いのですが。

写真を選ぶ。デジカメになって、というか子ども撮影用にデジタル一眼を買ってから、写真を撮る、というプロセスよりは、撮った写真を選ぶというプロセスに時間と関心を取られている気がします。最近は、ブラインドシャッターと連射の組み合わせで、カメラの機能に任せてそれこそ数打てば当たる的な撮り方が多いので、まさに「撮る」より大量のデータの中から適切な写真を「選ぶ」というのがふさわしいように思います。素人がファインダーものぞかずに、適当にパシャパシャとシャッターを切るだけで、それなりの写真が撮れるというのもありがたいことですし、連射のお陰で子どものいい表情も適当に押していればどこかに収まっているというのは大変便利です。でもまぁその代償が冒頭の整理の手間というわけなのですが。

昔はいい写真をいかにして撮るかに腐心していたわけですが、今は似たようなコマ送りの連射写真の中から、一番良い表情を選ぶような作業に腐心しています。写真×デジタルデータだからまぁこういう手法が成り立つわけですが、アナログ的な世界ではなかなかそうもいきません。例えばヒトの採用とか。色々な雇用形態や採用手法が発達してきてはいますが、いい人材をいかにして採るか、という構図は昔からほとんど変わっていないのが現状です。本を選ぶ、なんて場面はどうでしょうか。デジタル化されて検索性が高まっては来ていますが、10冊買ってみてパラパラ手にとって一番良い1冊だけ残す、なんてことをやるにはまだハードルが高い状況です。

何が言いたいか良くわからなくなってきましたが、デジタル化によって物事の概念が色々変わってくる中で、まだまだ変わることも色々ありそうだなぁと改めて思った次第です。ヒトや組織の領域もアナログ中心ですが、まだまだ変化はこれからかと。
先週、とある研究会に参加して「正社員」の在り方について議論しました。最近の世の中的な議論の流れで言えば、「限定正社員」のようないわゆる「正規雇用」「非正規雇用」のギャップを埋めるテーマの方が多いように思いますが、冒頭の話は、その区分で言うならば「正規雇用」の方に寄った話です。これまで普通に使われていた「正社員」というものが今後どうなっていくのか。そんな話です。

論点はいくつかありました。1つの企業を考えたとき、どこまでを内部で抱え、どこからは外部の力を借りるのか。インソース/アウトソースの問題です。処遇に関して、職能給ベースか、職務給ベースか。これは内部育成/外部調達の問題と言えます。キャリアに関して、総合職か専門職か。これは就社/就職の問題とも関わります。新卒一括採用でインソース/内部育成/就社のセットが日本型、中途採用ベースでアウトソース/外部調達/就職のセットがアメリカ型、なんて単純な分け方が当てはまるわけでもないのですが、まぁイメージとしてはそれが理解しやすいかもです。

議論は色々あるのですが、企業の競争力のコアとなる労働力を確保する可能性として、外部労働市場が活用できるか否か、その影響が大きいように思いました。極論的に、例えば全ての必要な人材をいつでも外部労働市場から獲得できるとすれば、無期雇用の日本型の正社員のような雇用形態は必要なくなります。もちろん、そこに企業固有の技術やら文化やら行動特性やら、時間をかけないと育成できない要素があるからそんな極論的な話にはならないのですが。

その意味で、これまでの「正社員」という在り方も当分は無くならない気がします。でも、外部労働市場の発達が進むと、徐々に外部化されていく部分は増えるのではないでしょうか。その時、会社の在り方も今とはずいぶんと変わってくるはずです。単純業務のアウトソースにとどまらない、専門業務のアウトソースの余地も今よりずっと増えるでしょう。そうなってくると、例えば人事専門会社に正社員として所属し、派遣・出向で複数の企業で働くような正社員も増えてくるように思います。帰属意識以上にプロフェッショナリズムを醸成する必要も出てくるでしょう。

というような変化をどう先取りして、組織戦略・人事戦略上考えていくか。これまた奥深いテーマです。
アルコール依存症患者に対する治療法のアプローチが組織変革のアプローチと似ている。そんな記事を2014年12月号のハーバードビジネスレビュー誌で目にしました。「依存症療法が企業変革に役立つ」というのが正式な記事のタイトルです。話の筋はシンプルです。どちらも習慣化された行動パターンを変える必要があり、結果アプローチも似ているのだ、という話です。

詳細は記事本文をお読みください。「前向きな気持ちを起こす」「新しい習慣に置き換える」「似たもの同士を集める」「小さな成果を積み重ねる」などなど、これだけ書くとアルコール依存症の治療なのか、組織変革の要点なのか、違いが分からないですよね。アプローチが共通だという話なので、違いが無くて当然なのですが。

3つほど前の当ブログの記事で「行動パターンを変える」というのを書きました。これもある意味では、「習慣化された行動パターンを変える」ための1つの方法論だったのですが、「組織変革」「意識改革」などと言わずに、「習慣化された行動パターンを変える」というと色々アプローチ方法の視野も広がってくるように思います。

「習慣化された行動パターン」というのも、もしかするとかなり身近で小さなことでもよいのかもしれません。組織変革とかいうと、何か強烈で本質的な意識の変化を起こさねばならないような感覚を持ちますが、冒頭の記事の本文にもあるように、「会議の開始時間を守る」「会議中はスマホをいじらない」とかそんなことぐらいでも十分なのかもしれません。その代わり、組織の隅々まで徹底して、元に戻らないよう継続して変化を促す仕組みや仕掛けが必要なんだと思いますが。その意味では、行動科学のアプローチ、すなわち行動の結果に対する適切なフィードバックを重視した組織運営がとても大事なのかもしれませんね。元の行動に戻った場合に罰を与えるというやり方もありますが、求める新しい行動にポジティブな評価を与える方が冒頭の記事では推奨されています。

なんでこの記事が目に止まったか。まさに自分の習慣化してしまった行動を変える必要があるからです。自分の行動にポジティブな評価を自分で与えるのは難しいのですが、あれこれ考えてみようと思います。
子どもの学び方を見ていると「意欲」がいかに大切かを思い知らされます。「やりたいこと」「興味があること」については、驚くほど速く身につけてしまうんですよね。最近も3歳の娘が自分の名前をひらがなで書きたいというので、とりあえず見本を書いてあげたら、最初はウネウネした線だったのが、数日後にはちゃんと読めるぐらいの文字になっていてびっくり。文字を書くということも「勉強」として「やらされる」感が強いと、こうも早くは覚えないのでは?と思っています。

一方で、「意欲」をどうやって持たせるかは非常に難しい問題です。「馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」とかよく言われます。まぁ馬ならのどが乾けば水は飲むかもしれませんが、子どもに文字を覚えたいと思わせるにはそれなりの工夫が必要です。私の場合は、絵本とか、どこにでも名前にある文字が出てくるたびに、「○○ちゃんの△だよ」と言い続けてようやく上記のとおりになったわけですが。

それでも子どもはまだ何事にも興味を持ってもらいやすい気がしています。知らないことを知る楽しみがあるんでしょうね。生きるための本能の一部かもしれません。でも、知らなくても生きられることを知っている大人は厄介です。知らないことを勉強せねばいけない苦痛も知っているわけですから。もちろん、大人でも何にでも興味を示して自然と学べるヒトも沢山いますから、一概には言えませんが。

大人が学ぶにあたって、そのベースとなる「意欲」をどう引き出すか。必要に迫られて、というのも1つの方法だと思いますが、もう少し内発的な動機づけのあり方ってないでしょうか。「分かるって楽しい」という子どものような感覚を大人になっても持ちつづけるにはどうしたら良いのでしょうか。と、最近学びのペースが低下気味の自分にも改めて問いかけている次第です。子どもに学べという前に、自分の学びを問い直したいこの頃でした。