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頭にきたのでこのページを作りました

先日、togetterにまとめた「大正時代の飛行機乗り」(http://togetter.com/li/909293 )の続編です。この中で言及した佐藤求己のラジオ講演録「国防と航空機」(大正14年11月2日放送)を翻刻掲載します。

【凡例】


・底本は、社団法人日本放送協会関東支部編纂『ラヂオ講演集』第九輯(大正15年、博文館)の222 - 228頁。


・原文は縦書き。読みやすさを考慮し、旧字体、歴史的仮名遣いは現代的表記にあらためた。漢数字も算用数字に置き換えた。( )内に難読漢字の読み方を記している。


・句読点、段落分けも適宜追加した。


・大正14年(関東大震災の直後)に講演された内容であり、当時の航空関係者の証言として、時代性を考慮しつつ参照を頂ければ幸いです。




【本文】



佐藤求己「国防と航空機」(大正14年11月2日放送)



私が所沢飛行学校の佐藤航空兵中佐であります。是より国防と航空機と云う事に就いて御話を致します。アメリカ人のライト兄弟が、漸く飛行に成功したのは、1903年即ち明治36年2月17日でありまして、其時は飛行時間59秒、距離が260米(メートル)と云う極めて微々たるレコードでありました。


我が日本の政府が飛行機の研究に着手したのが明治42年で、徳川・日野両大尉が代々木練兵場で我が国最初の飛行を敢行したのが其の年の12月でありました。此の時は朝から飛行の見物に出て来た人々が根気良く夕方まで待って、やっと地面から飛行機が浮き上る位に飛び上るのを見まして、ああお月さまが上らぬと飛行機も上らないとか、そんなに立って飛行を見る事が出来るものか、寝て居らぬと飛行は見えないと云うような事を言って居ったのでありました。


それが15、6年後の今日、我が国の飛行機は風凍るシベリヤの大広原、広さ1千粁(キロメートル)に亘る大森林を突破し、密雲猛風と戦ってウラルの連山を越えてヨーロッパ各国を訪問し、此の頃「ローマ」に到着して、茲に予定計画を無事に終了して見事なる世界的の記録を作ったのであります。何と著しい進歩ではありませぬか。


ライト兄弟飛行から昨年末まで20年後に於ける世界的飛行のレコードは、一度も着陸をせぬ飛行で、時間が37時間59分10秒、距離が5300粁、約1325里であります。高さが11145米、富士山の約3倍であります。


此の著しい進歩は、主に欧州大戦からでありまして、それまでは各国共相当に研究しては居りましたけれども、飛行機の優勢であるか否かが国の運命を左右すると迄は思って居りませぬが、唯単り独逸の国ではツェッペリンの飛行船の研究に熱中をして、今に見て居れ、敵の陸兵が我が国境に到着しない間に、ドイツのツェッペリンは敵の首府の上空に現れるぞと申して居りました。


又我が国で代々木練兵場の飛行時代に、ブレリオ氏は25馬力の発動機で33分間で英仏海峡を横断を致しまして、海運充実を以て国防の絶対安全と確信して居った英国人を吃驚させたのでありますが、併し是に対しても、英国人全体が神経を興奮させた訳ではなかったのであります。丁度昨年、アメリカのスミス中尉がベーリングの荒海を越えて日本に飛んで参りまして、続いて世界を一周致しました時に、我々は国防の不安を痛感して居ったに拘らず、多くの人々が其の唯歓迎に熱狂した許りで、其の後何等の感応もないと同様であります。


欧州戦争の幕が切り落とされた翌年の1月19日の夜に、一大爆音がロンドン市民の夢を破りました。それは到底ロンドンなどに独逸の航空機が来るものかと見縊って居った、ツェッペリン航空船の襲来でありました。ロンドン市街は忽ち修羅場と化し、従来戦争と云えば、彼の一部の男子が戦場に出て、悲惨の目こそ見れ、多くの男子、殊に年寄、女児供と云うものは内地に居って、絵を見、話を聞いて戦争の模様を知るだけであったのでありますが、今や今日では、一度戦争となれば、老幼男女を押しなべて、総て流血河を為す惨状内に置かれるのであります。ロンドン市街が其の通りであったのであります。如何に市民が慌て騒ぎましても、亦政府を攻撃して見ましても、政府が焦って見ても、施す術もないのでみすみす敵の為すが侭に任せて、今まで空中防禦と云う事に無頓着であった因果応報と断念める(あきらめる)外仕様がなかったのであります。


空中防禦と云えば、先づ敵の飛行機を攻撃する為に、優秀なる飛行機を沢山に備える事が第一条件、次には飛行機を射撃する高射砲、之を要所に備え、殊に都市には外部5、6里の周囲一円に、1里の間に4門か5門の割合に一重、二重、其の高射砲を配置して、更に夜でも射撃の出来るように高射砲の横には探照灯を備え付け、又前の方、4、5里位の所には敵の飛行機の来るのを早く発見し、それを飛行隊に知らせ、又高射砲に知らせ、又市民に知らせて警戒をする所の監視所を置くのでありますから、大都会の空中防禦というものは決して一朝一夕に出来るものではありませぬ。


ロンドンでも其の後ツェッペリンの攻撃は盛んであるし、市民からの攻撃も八釜しいので、政府も非常に努力を致しまして、3箇年も懸ってやっと一通りの防禦が出来上がって以来、漸く独逸航空機の襲撃を免れるようになりましたが、戦後108回の攻撃を受け、ロンドン市民の死傷者が5611人、一時は交通も通信も、政治も商業も工業も、半停滞の有様で、戦場に送られる弾薬の製造も思うように出来なかったのであります。


若しドイツが忍耐して一大空軍を完成し、1917年の末頃に一大襲撃をロンドン、パリーへ加えたならば、其の結果は英国もフランスも、国民から平和克復を政府に強いられ、ドイツが言うが侭の条件の下に休戦しなければならぬようになったであろうと、英国人は申して居りました。


パリーがドイツ航空機の襲撃を受けた事は746回であります。其の第1回の時、即ち戦争の初まりの年の8月30日にはドイツの飛行機がパリーの上空に来て、パリー人よ、ドイツ軍は既にパリーに入れり。パリー人よ、ドイツ軍は既にパリーに入れり。と云う宣伝ビラを爆弾と一緒に投げたのでありました。英国もフランスも此の独逸航空機の襲撃の為に悲惨極まる目に遭いましたので、国民の空中防禦、航空観念が初めて目覚めまして、国を挙げて航空に力を注ぐようになり、其の為に戦争中非常なる発達をなし、遂に今日の状態となったのでございます。


皆様、仮面を被っている、化けの皮を被って居る世界の平和は、何時如何なる小さなる動機から破れるか分かりませぬ。世の中は泰平であると夢を見つつ居る間に、宣戦は布告せられ、其の夢の醒めぬ翌朝には我が帝都の上空に獅子の吼えるような唸りが聞こえた時には、最早何千発の爆弾、焼夷弾、毒瓦斯弾が東京市中到る所に投げ下ろされた時であります。全市街は火に包まれ辛うじて上野公園、代々木練兵場等に避難した人々も毒瓦斯弾や爆弾の為に、薙ぎ倒されるのであります。全市街は火災を起し、避難地は到る所、先年の被服廠跡のような惨状となるのでございます。


是が独り東京だけに止どまりませぬ。小笠原島附近、又は択捉、浦塩あたりに根拠地を持って居る飛行機は、どれも本州全体に活動が出来ますし、上海を根拠として居るものは、大阪から西九州一円を跋扈し、フィリッピンに根拠して居るものは台湾から九州の南の方に亘って猛威を振るい得るのであります。


斯様にして東京許りでなく、名古屋、大阪、神戸などの色々の工場も、門司、下関の港も、八幡の製鉄所も、長崎も、佐世保も、根底から覆される暁には、唯々敵に屈従するより外ありませぬ。戦争が初まりますれば、我が国の航空機の勢力が優勢であるか否かと云う事が戦争の全体を支配するものであります。


斯様になりますから、国内の重要な都市の空中防禦は最早、今日一日も忽せに出来ませぬ、之を完全にするには何と云っても、沢山に飛行機の準備がなければなりませぬ。我が国のように四面を海に囲まれた細長い国では、何処から何処へ敵の飛行機が進撃して来るか分りませぬ。之を思うと我が国の空中防禦は決して安閑として居られませぬ。


昨年の帝国議会で長岡外史将軍が空中攻撃の惨状を詳しく演説せられ、国民の覚醒を促されました。我が軍事当局も其の必要を痛切に感じて居りますが、如何せん、多大の経費を要するので、国家財政の上から思う存分な事は出来ませぬ。それで陸軍当局は、身を切り肉を割いて4箇師団の廃止を決行し、其の経費の大部分を挙げて航空の整備に用いられて居ります。私共、直接航空の職に居る者の責任は甚だ重大で、孜々として日夜研究と錬磨とを怠らないのであります。


国内の空中防禦を十分に準備致しますには、莫大な数の飛行機が必要であります。今日、我が陸軍では500台の飛行機を有って居りますが、フランス陸軍の3850台、アメリカの2850台、イタリーの1550台、ロシヤの900台に較べて見ますと情けなくなります。アメリカでは近頃、航空設備の大方針を定め、10年継続で毎年5千万弗(ドル)の経費を充てて、戦争の時には8756台の飛行機と36台の航空船、134個の気球を備え得るように計画を樹てたと云う事であります。如何に一騎当千の大和魂を振り翳しても、文明の科学的戦争には万全とは申されませぬ。


飛行機1台の値段は僅かに3万円位であります。我が国の1箇年に輸入致しまする贅沢品の総額は8千840万円だそうでありますが、是だけの金があれば、3000台の飛行機が買えます。舞踏に使う品物だけでも700万円だそうですが、是でも270台の飛行機が買えまして、東京・横浜の空中防禦には有余るのであります。皆様、敵の飛行機が襲撃して来た時に、幾ら香水を振り撒き、宝石をぶち撒き、ダンスの身構えを致しましても、敵を撃退する事は出来ませぬ。


3万円の飛行機も、僅かに200時間使いますと命が尽きます。それで1年とは保てないのであります。戦時ならば、3箇月で寿命が尽きるのであります。従って、戦時には1000台の飛行機を使うとすれば、毎月300台以上の製造力が必要であります。飛行機の操縦者を1人養成するには10万円近くの金が掛ります。寝たくても金の山はない。檄を飛ばしていきり立って見た所で、工業に余力のない日本で容易く出来る技ではありませぬ。戦争の時に使う沢山の飛行機を、平時から軍事当局だけが準備することは不経済極まる話であります。随って、平時に飛行機を生産的に利用する、即ち民間の航空事業を発達させて戦時には之を動員し、戦場に或は都市の防禦に使用するのが最も宜い方法であります。欧米各国で郵便飛行とか旅客の運送等に目覚ましい活動をして居るのは是が為であります。


翻って我が国の民間航空事業の状態を見ると、甚だ振わないのであります。是は日本の地理的関係もありますが、資力のない事が主な原因である。海を越えて、朝鮮、支那、台湾などに飛行機の運輸交通を図りますれば、出来るのであるが斯う云う事を企てる事業家もなし。又之には政府が少なからぬ補助を与えてやらねば出来ないのであります。それも今日、十分出来て居らぬからであります。


空中攻撃は国を根底から覆す恐るべきものである - 敵国を覆す。 - 我が国の空中防禦を確実にする為には優秀なる飛行機と、飛行家とが沢山にある事が必要であります。それを自覚致しますならば、今日我が日本の航空界を如何に仕向けなければならぬかに、気が付かれるでありませう。香水を振り撒き、宝石の指輪を嵌め、ダンスをするだけの金がありますれば、日本は世界一の航空国と成り得るのであります。十五夜の月を唯美しい平和の月と眺め、闇の夜にきらきら光る星をダイヤモンドだと思うて見て居る者は間違いであります。冴え渡る月の光に翼を照らしながら襲撃して来る飛行機があり、闇を破って襲い来る所の爆撃機がある事を思うて、そうして我が国の現在の航空界の有様を思い較べましたならば、甚だ不吉でありますけれども、我が国の国運の危難が此の大空から来るのではなかろうかと気遣われるのであります。是で私の講演は終ります。(14.11.2)