画像で紹介しているのは、

11月9日発売書籍化第一弾、

『主婦と若い殺人者』です。

夫が単身赴任中に出会った青年は、

逆援助交際で小遣い稼ぎをする、

執行猶予中の殺人犯だった・・・。

中年主婦の葛藤をほんのりコミカルにつづった作品です。





    坂   道   第19話



「おかえりなさい」

 言葉に戸惑った信子が何とかひねり出したのが、この一言だった。よくぞ戻ってきてくれましたという思いも確かにあるが、彼の車椅子に思いのほか動揺している自分を悟られたくないためには、今の場合もっとも相応しい挨拶であるようにも思えた。

「ごめんね、連絡できなくて」

「そんな」

 連絡できなかったこと以前に言うことがあるだろうと信子は思うのだが、それは口に出来ない。

「とにかく入ってください」

 信子はドアの外に出て範夫の背後に回り車椅子のグリップを握ると、車輪の間にあるバーを踏んで前輪を上げ、狭い玄関の土間に車椅子を押し上げた。

「ありがとう」

 彼はそう言って信子を見上げる。彼女が手を貸すつもりで先に部屋に上がり振り向くと、範夫は何も言わずに膝にかけていたショールのような布を取り払った。その部分に、信子の目は釘付けになった。

 両足が、膝の上からなかったのである。

 ズポンの裾が短い足にあわせてカットされていて、先端は無造作に結ばれていた。

 呆然と立ちすくんだままの彼女を尻目に、範夫は両腕を使って器用に車椅子から床に下りると、やはり両腕だけを使って手馴れた動作で部屋の奥へと進んだ。

 我に帰った信子は玄関の狭い土間を占領している車椅子をたたみ、それを隅に寄せた。そして彼女に背を向けて黙って座ったまま、たった一つしかない窓の外を見つめている範夫の傍に近づいて行った。

 彼が信子を振り向き、思いつめたような眼差しで見上げる。説明するまでもない状況を一旦受け入れると、彼女は気持ちを切り替えた。

「おかえりなさい」

 信子の口からもう一度同じ言葉が吐き出された。彼女は、両足を失った身体で自分の下に戻ってきた範夫に、無我夢中で抱きついた。

 二年振りに触れた彼の肉体は、目を見張るほどのたくましさを備えていた。肩と腕と胸の硬く引き締まった見事な筋肉に、信子は恥じらいも苦痛も忘れて見とれていた。かつての彼がどの程度の筋肉を有していた若者であったか、彼女は全く憶えていない。

 そして、範夫の両足がどんな風であったかということも。

 時間を忘れて抱き合い、気がつくと夕暮れの遅い初夏の西日が、いつかのように部屋の壁を鮮やかなオレンジ色に染めていた。


(つづく)