タイトルは『情けは人のためではなく、自分のために行うもの』という意味ですが、日本人の中には、情けをかけるのはその人のためにならない、みたいに思っている人がいるようで、ネットで車椅子を利用する重度の障害者が、お店や公共の場で冷遇された事案を投稿すると、関係ない人々から、甘えるなとか外に出るなとか心無いコメントが寄せられます。不自由な体に生まれただけで気の毒なのに、障害者が社会の待遇改善を訴えると叩かれる不思議の国🇯🇵
イギリスに住んでいる従姉妹が帰国したときに、一緒に街を歩いていて道端でお年寄りが立ち止まったりしていると、彼女はすぐにそばに寄って『何かお手伝いしましょうか』と声をかけます。どうしたのかしら、助けたほうがいいのかしら、余計なお世話と思われないかしらとか、一般のジャパニーズのように悩む間もなく。相手に忖度する日本人と違い、海外では親切にすることが自分を高めることにつながるから、他者にもとっさに情けを施すのです。
キリスト教でもイスラム教でも仏教でも、施しや慈善行為は神のご加護が得られる善行なのです。蜘蛛に慈悲を示してお釈迦様に評価されたカンダタのように、他者に愛を施すことは天国への近道、まさに情けは人の為ならず、なのです。
日本でも地方では、知らない人にも親切にする文化が残っているような気がするのですが、都会ではどちらかというと我関せずがマナー。そしてこれは日本人の特徴なのですが、親切にされたら何かお返しをしなければならないという変な慣習があり、相手が気を遣ったらどうしようと悩んで親切をしそびれる、というケースもあるらしい。冷たいのではなく、情けは人のためのものだと考えているのです。
だからこそ日本にも、情けは人の為ならず、という言葉があるのでしょう。誰だって面倒くさいことはしたくない。でもその面倒を乗り越えた先にとても清々しい気持ちが待っているということを、せめて若い人には伝えてあげたい。人を信頼すること、信頼されることの価値を教えたいじゃないですか。
戦後の生きるか死ぬかの時代潜り抜けた世代からは、人のことより自分のことをやれ! と言われましたけど、そして生死を分ける災害現場では、自分ファーストが当たり前ですが、平和な日常生活においては、どんどん人に情けをかけて徳を積みたいものです(これぞ自分ファースト笑)



