2018年7月4日
とあるイギリスのミュージシャンが大阪にやって来た。
それは、かつて失業率が増加した救いようのない英国で音楽という真っ当な武器で声をあげた男。
そして今もなお伝説のパンクロッカーとして歴史に刻まれ続ける男。
そう、ジョニーロットンである。
彼が活躍したのは俺が生まれる随分前のことで、心持ち的には本当に存在しているのかも不確かではあった。
だけど、今日確かにジョニーロットンを見た。
IMPホールのステージの上に立っていた。
その感動が冷めないうちにどうにか言葉で残したくてこのブログを書くに至っている。
以前書いたブログの記事に、セックスピストルズは子供ながらに初めて自分の意思で聴いて、初めてかっこいいと思ったバンドだと書いた。
だからこそ、今回ジョニーロットンを生で見れるということで随分前から待ち焦がれていた。
しかし、そんな焦がれた気持ちと同時に、本当に見てもいいのだろうかという恐怖もあった。
何故なら、俺が父親と一緒にテレビで見た過去のジョニーロットンはとてもスタイリッシュで、前傾姿勢で唇を歪ませて、ロバの鳴き声のように叫んでいたから。
でもそれはとうに昔の話で、1997年生まれの俺がリアルタイムで見れるのはすっかり肥えた体でチーズのCMに出演する滑稽な彼だから。
そんなどっちつかずの複雑な感情を抱きながら会場の中に入った。
そこに待っていたのはまるで、日本ではないどこかであり、日常ではない異空間やった。
午前中にジムに行ってトレーニングをした疲労感をも完全に忘れてしまうくらいの世界観に五寸釘で止められてしまっていた。
あぁ、俺はPILを見るんだという非現実感を何となく受け入れ始めた頃に、ジョニーロットンが舞台袖からやって来て俺の目の前に立った。
決して、テレビで見た時のように若くて暴力的で美しい彼ではなかったが、目の前にいるというその現実だけで感極まってしまった。
一曲目の「WARRIOR」が始まり彼が歌い出した途端に、あ、ジョニーロットンの声だ、という感動と、老いとともにかすれてしまった声に対する不甲斐ない感情が交差してしまった。
だけども、2曲目の「MEMORIES」が始まった途端にそんな中途半端な気持ちは吹き飛んでしまった。
決してピストルズの曲を聴ける訳では無い。
でも、PILの1st、2nd、3rdアルバムの楽曲はそれと同じくらい10代の自分の中に刻まれたものだったから。
もし俺のロックの入口がパンクロックじゃなかったとして、何となく義務的な感じでピストルズやPILを聴いていたのならとても悲しい気持ちになって途中で帰っていたかもしれない。
でも、俺にとってはビートルズと並ぶくらい人生観や思想やライフスタイルを全部変えられたアーティストのひとりやから。
この先ベッドの上で管を繋がれて寝たきりのじじいになっても思い返す10代の頃の苦悩や怒りや悲しみや興奮や幸福は全て彼の音楽で出来たものやから。
だから、彼が老眼鏡をかけて、譜面台を見ながら歌っていたっていいんだぜ。
今でも俺の部屋には、ガラスケースに収めて飾ったPILのレコードがあるからね。
こんなに興奮してPILの事を語っているが、きっとなんの話をしているんだってお思いでしょう。
PILってのは「PUBLIC IMAGE LTD.」っちゅうバンドのこと。
1970年代後半にパンクロックが小難しい音楽を全てぶっ壊してプリミティブな音楽を生み出した。
しかし、そのムーブメントはあっという間に終幕を向かえ、誰もが音楽性を模索しまくる時代がやって来る。
それがいわゆる、ニューウェーブとかポストパンクと言われるジャンルの音楽。
ピストルズはパンクロックのヒーローとして一世を風靡した。
そしてジョニーロットンは「ロックは死んだ」という言葉を残してピストルズから脱退。
そして間もなく彼が結成したのが「PUBLIC IMAGE LTD.」である。
PILもまた、ニューウェーブやポストパンクの第一人者として、大衆には理解されない実験的でアーティスティックで攻撃的な音楽に取り組んでいた。
初期の三部作は本当に難解で、これを音楽と呼んでもいいのかって思うかもしれない。
確かに、中学生の頃なんかはいちびって聴いてみたものの意味がわからなさ過ぎてすぐ諦めてしまっていた。
俺の親父なんかは学生時代にPILのレコードを実家で聴いていて、祖母に、変な宗教に入ったのではないかという疑惑を立てられたらしいからな。
いったい、どんな曲なんだいって気になってきたんじゃないかな?
俺が中学の頃に初めて聴いていろんな意味でぶっ飛んだ曲をどうぞ。
『 FOUR ENCLOSED WALLS / PUBLIC IMAGE LTD.』
やっぱり意味わからんわ。
でも、ライブ終わりの俺にとってはこんなに美しい曲があるのかってくらい愛おしくて縋りたくなる思いや。
今回のライブはオールタイムベスト的な感じでこんな曲はやらなかったけども。
だけど、大して聴き込んでいなかった「THE BODY」とかその他比較的新しめの曲なんかも生で聴くとかっこよかった。
なんか、幾度となく音楽と宗教を重ねる瞬間があった。
ロックと宗教なんて対立するものやし、「アイ・アム・アンチ・キリスト」なんて歌ってた人を宗教と重ねるのはおかしな話かもしれない。
でも、今日俺が見たのは宗教と表現するのが一番似つかわしい、そんな瞬間やった気がする。
途中から譜面台が教壇に見えてきて、「THE ROOM I AM IN」で言葉を連ねるジョニーロットンはまるで聖職者のような存在やった。
でもそこに神様はいなかった。
俺の目の前にいたのは神様でも仏様でもなくて、ロックスターやった。
少し前のインタビューでジョニーロットンが「宗教なき教会」なんて言葉を言っていたが、まさにそれ。
あの瞬間のIMPホールはまさに「宗教なき教会」以外の何物でもなかった。
怒りがある、思想がある、そしてそこには楽しさや幸福もある。
それは形のないものであり、正解もないから強要することはナンセンスである。
かつての宗教家や指導者達はきっとそんな無理強いな幸福を自由と呼んでいた。
しかし、音楽は強要しない。
こんなに楽しい事があるけど、それを楽しいと思う人は一緒に歌おうよ。
こんなに腹立たしいことがあるけど、それを腹立たしいと思う人はそのエネルギーを一緒にぶちまけようよ。
音楽ってきっとそういうものやと思う。
そういう意味で、音楽は宗教なき教会なんやな。
怒りはエナジー
あぁ、今でもあの大合唱の光景を思い出して、その余韻で胸がドキドキしやがる。
あの大合唱は幸福の共有であり、怒りの共有でもあった。
決して強要はしない、ただあの宗教なき教会に集まった同じ考えの持ち主が一瞬だけ心を通わせたんだろう。
怒りはエナジー
『 RISE / PUBLIC IMAGE LTD.』
怒りがエナジーだなんてそこいらのミュージシャンには歌えないよ。
むしろ、大抵の人には言えないし思いつかない。
だけど、彼はホメオパシー的な考え方を持っていてすごく面白い。
ホメオパシーとは同種のものが同種のものを治すという考え方。
ある病気になった時に、その病気のウィルスを摂取することで治すという原理。
だから世の中に起こるネガティブなことっていうのは、その物事を変える絶好のチャンスなんやって。
彼はネガティブの中にポジティブを見い出せる本当の意味での強い人間なんやな。
そしてホメオパシーに例えると、トランプ大統領の場合は大量摂取しないと治せないけどね、みたいにユーモアある発言をするとこも彼の人間としての魅力のひとつ。
いつか忌野清志郎が言うてたように、反戦や反体制的な曲にもユーモアがないといけないって言葉がすごく繋がった。
やっぱりユーモアって大切ですよね。
ただ単に「NO」って言うだけじゃ能のない奴になっちゃうからね。
極論を言うと、ユーモアがない人間が戦争をしたがったり、人を殺したりするんやろうな。
ってなことを言うてますが、今日のPILのライブでは客同士が喧嘩を始めてまじビビりました(笑)
「THIS IS NOT LOVE SONG」っていう盛り上がる曲の時にエンジンを加速しだした暴れん坊とその隣の客がまさかの一悶着。
何となく頭の隅に、元ピストルズのファンやから、そういうヤンチャな客もいるんじゃないかと思っていたんやけど、案の定。
まあ、それも含めて、ジョニーロットンという男を見る上で良い経験が出来ました。
非常に幸福と怒りに満ち、心強い夜でございます。
明日からも、怒りをエナジーに変えて強く生きてやろうと思えます。
ありがとう、ジョニーロットン。
それでは、針を落として。
またね〜。