$~僕がピアノを弾くのを止めてから~




郵便局といふものは、港や停車場と同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、

悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人々は窓口に群がつてゐる。

わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくって押し合つてゐる。

或る人々は為替を組み入れ、或る人々は遠國への、かなしい電報を打たうとしてゐる。

いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。

私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、

側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤獨に暮らしてゐる娘の許へ、

秋の袷や襦袢やを、小包で送つたといふ通知である。

郵便局!私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、

そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いている若い女よ!鉛筆の芯も折れ、

文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。

我々もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活(ライフ)の港々を漂白してゐる。

永遠に、永遠に、我々の家なき魂は凍えてゐるのだ。郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、

人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ



 郵便局の窓口で


          郵便局の窓口で

          僕は故郷への手紙をかいた。

          鴉のやうに零落して

          靴も運命もすり切れちやつた

          煤煙は空に曇つて

          けふもまだ職業は見つからない。

          父上よ

          何が人生について残つて居るのか。

          僕はかなしい虚無感から

          貧しい財布の底をかぞへて見た。

          すべての人生を銅貨にかへて

          道路の敷石に叩きつけた。

          故郷よ!

          老いたまへる父上よ。

          僕は港の方へ行かう

          空気のやうに蹌踉として

          波止場(はとば)の憂鬱な道を行かう。

          人生よ!

          僕は出帆する汽船の上で

          笛の吠えさけぶ響をきいた。




・・・いつ頃から郵便局にノスタルジィを感じなくなってしまったのだろうか。

僕が子どもの頃、近所に耳の遠いおばさんが住んでいた。

おばさんは字を読むことも書くことも出来なかったので

手紙を受け取るたびに僕の家に来て 僕の母に手紙を読んでもらっていたのだった。

手紙の内容までは覚えていないが、手紙というものは恐ろしい知らせを運んで来る不吉なもので

あると 子供心に感じていた。

母はそのおばさんを疎ましがっているように見えたが、実際のところはおばさんよりも

その手紙の内容が恐ろしかったのだと思う。

僕は封書を開封するときの あの不吉な緊張感に地獄を覚えるのである。

真白な手紙。触れれば手の切れる剃刀のような紙地獄。

手紙の中の地獄から逃れようとして逃げれば逃げるほど

悲哀、郷愁、絶望に近づいていくことになる。

あの時、おばさんも、母もそしてまた僕も地獄という時間を共有していたのだろう。