よくいわれるんです。
「お忙しいですから。」
どうして忙しく見えるのか
わからなかったんです。
SNSの発信地があちこちだから?
動作に落ち着きがないから?
キャリーと一緒に移動しているから?
話すペースが速いから?
講習のペースが遅いから?
月一回ペースだし、欠席補習をしないから?
忘れ物をするからかしら?
“おいそがしいですから”とフォローしてくれる。
忙しそうに見えるのは、嬉しいことじゃない。
忙しいというより
手際、要領が良くないからかな。
と、自分では思ってた。
忙しさと呼ぶものが自分の中にあるとすれば・・・
どこか切迫感のある
“今" の立ち位置かと思う。
私にある時は ”今" だけだと
心身が感じているから。
与えられた役割があって
自分がそれを受け取ったと気付いたら
やるべき事、時、場を敏感とらえ
考える隙を入れずに動く。
それがオッケーなとき
役割を与えてくれた大元の力が
楽しいオッケーサインを示してくれる。
それがこの上ない幸せ。
この幸せのために、わたしは生きる。
"今"、この時という立ち位置を
踏み外さないでいたい。
外しても痛みはないけど
茫洋とした暗闇があるだけ。
過去と未来の間、"今"この時に立つと
闇に暗さはなく、漆黒の光が満ちている。
私たちの"今"は
そこに走る一条の稲妻。
わたしはこの雷が大好き
毎瞬ちゃんとキャッチしたい。
そして ようやく
この前後のない立ち位置の
限りない深さを感じられるようになって
自分の中から”忙しさ“=切迫感が
消えていくのがわかる。
体をもらって生きている
「今」が永遠に結びつくチャンスだとわかる。
地下鉄で偶然 会った師匠が話してくれました。
「死ぬまでに到達できたら、それで間に合うから」
間に合うように、「今」を生きましょう。
