このまま交流級だけにいるのは危険と判断した私は、行動を起こしました。

 

まず、通っていた児童発達支援センターの先生に事情を話しました。

先生はびっくりして、怒り狂っていました。なんのために支援級を選んだのかと。

 

 

私はさらに、学校への不信感も話しました。

 

・子供を理解してもらおうと、就学前に一生懸命書いたサポートブックは読んでもらえた形跡がないこと。(切々と箸が使えない理由を書いたのですが、給食初日に箸が使えないことを指摘され、指導してくださいと言われました)

・支援級にいけない理由は、支援級の先生の手が足りないという理由のこと

・子供の家での荒れた様子、泣きながら学校に行きたくないと伝えてきたことを支援級の担任に伝えても「わかりました」で終わってしまったこと

 

 

児童発達支援センターの先生は、就学前には断っていた保育所等訪問支援の利用を認めてくれ、手続きも異例の速さでやってくださり、事情を話してから3週間もしないうちに学校を訪問してくれました。ありがたい・・。

 

先生も我が子の成長ぶりにだいぶ驚いていました。

ただ私と同じように、我が子が無理をしているのもわかり、支援級へいかせてもらうよう、両担任、そして校長へも伝えました。

両担任からは交流級で大丈夫、難しくなったら支援級へ、と言われたらしいですが、「ダメになってからでは遅いんです!」と諭したそうです。

よくよく聞いてみると、支援級の担任は支援級の経験が初めてだそうです。。

逆にどうしたらよいか教えてください、とも言われたとか。。

 

我が子は次の日から、国語、算数、給食そのほか行きたくないときを支援級で過ごすことになりました。

・・・どういうこと??すぐ行けるんじゃん?

そんなものなのですよね。モンペにはなりたくないけど、言わなければいけないことは言わないと。自分で解決できなかったことにも反省です。。

 

そして6月。

支援級へも行けるようになった我が子。

やっぱり支援級でのゆったりした環境が合っているようです。

周りはどうであれ交流級でも楽しくやれている(?)ようで、6月に入ってからは、

学校に行きたくないということはなくなりました。

早く学校に行きたいようで、朝の支度も断然早くなりました。

子供が楽しそうにしていると私も嬉しく、支援級の先生ともだいぶ話せるような関係になっています。(この間は支援級の算数にいきなり誘われて、特別参加させてもらいました)

 

 

かの、私のブログに度々でてくる本田秀夫先生は言っています。

 

"子供が学校に行かないと言ったときは、始まりではなく最終段階なのだと。

もうすでに子供は我慢をしていて、限界を超えての「行かない」なのだと。"

 

 

これからも子供の変化には注意していきたいと思う今日この頃です。

まぁ、言ってもまだ3か月。これからさらにいろいろあるのでしょうね不安