学歴も性別も職業も何もかもとっぱらって、人とふれあう

もしそれができるならば、
そこはきっとみんなが自然と笑顔になれる幸せな空間になると思う

ドラムサークル
0歳の赤ちゃんから生きている限り誰もがみんな体験することができる

そして、そこでは言葉は必要ない
地位や学歴も必要ない
間違いは何一つなく、すべてが正しい
何でもありな自由な空間

ありのままのその姿で感じるままに
音を奏でて目の前にいる人たちと今その瞬間を作り上げていく

みんながありのままでいられるところ

世の中全体がもしそうであれば、
今よりもっと笑顔が増えるだろう
今よりもっと自分に自信がもてるようになるだろう




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まだまだ成長途中の子どもたち

集団生活に慣れていないばかりか、
自分の身の回りの事すらままならない

もちろん、
融通がきかないことだって多い

その子たちをサポートする大人はどのように関わればよいのか

自己主張ができないのをいいことに、大人の都合に合わせた生活リズムを強引に定着させようとするのか

おむつをつけていることをいいことに、決まった時間にしかトイレに行かせないのか



それはなんか違う気がする

融通がきかないからこそ、
サポートする大人が融通をきかせるべきだ

特別支援の現場

子どものためといいつつ、本当にそうなのか??大人の都合で勝手にその子の世界を狭めているような気がする

その子の融通がきかないからこそ、
型にはめたサポートではなく、大人が融通をきかせてその子の "今" に合ったサポートをすることが必要なのだと思う







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"共にいる"

特別支援を専門に学び、色々な場所で様々な人に関わってきた私にとって、
深く馴染みのある言葉

なのに、
今回初めて"共にいる"とはどういうことなのか、体感し学ぶことができたような気がする

"共にいる"

それは、目の前にいる人の傍にいて、その人のために何かしようすることではない

ただただ、ひたすら誰かの傍で、その人の生きる"今"を感じ、過ごすこと

決して励ましたり、何かアクションしたりする必要はない

なぜなら、その人は必ずその人自身の持っている力で前に進んでいくのだから

大事なのは、その人の可能性を最大限に信じぬくこと


それが"共にいる"ということ


人は誰でも、
無限大の可能性を秘めている

どんなに苦しくても辛くても、必ず乗り越えられる力を持っている、すごくすごく強い存在


たとえ、物理的な障害を抱えていたとしても、それは決して変わることはない


そして、弱っているときこそ、
これを信じ、ただただ共にいてくれる人の存在はとても大きい



"共にいる"ってステキニコニコ音譜














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