フェアレディーZは、1969年に誕生した…世界初の超音速旅客機コンコルドが、試験飛行で音速を超えて話題になり、日本で交通違反点数制度が施行された年だった。

 ちなみに、Zの先代フェアレディーは、悪路ではケツが痛くなる、英国流スパルタンなスポーツカーだった。

 が、フルモデルチェンジで登場したZは、片山豊の知恵が盛込まれ、世界最大のスポーツカー市場の米国をターゲットに開発されたスポーツカーだった。

写真:日産栃木工場を囲む高速周回路/空撮筆者 & バンクを疾走するフェアレディーZ。

 それはケツが痛くなるスポーツカーではなく、寒暖風雨雪でも快適、乗り心地よく、誰にでも転がせる車、言うなればGT=グランドツーリングカーだった。

 片山の本社への要求は「ジャガーEタイプのようなGTを安く・・」だった。

 耐候性抜群のクロ-ズドボディーは、乗用車並みの居住性を持ちながら、いざ鎌倉となれば、ヒト鞭でレース・ラリーを韋駄天走り、というのだ。

写真:ラリー仕様のフェアレディー/アルトーネン使用車 & ラリー仕様のコクピット。

 そのころになると、もうスポーツカーは高嶺の花ではなくなったので、月産2000台を目標の量産体制が組まれた。

 それまでのスポーツカーは、少量生産車らしく、他のモデルからの流用だったシャシーも、専用に開発されて、太い床のトンネルで高い剛性を生みだしていた。

 前輪が、ブルーバードで好評だった、マクファーソンストラット。後輪は、横方向に伸びるロアアーム+ストラット+コイルスプリングのコンビ・ノンスリップデフ・マグネシュームホイールなどで、構成されていた。

 ちなみに、価格でピンは93万円~米国で人気の240Zが 135万円で、キリの最高峰Z432が、トビ抜けて高い185万円だった。

 Z432は、廉価版の二倍、スカイラインGT-Rより、35万円も高かった。

写真:Z432と240Z。

 サーキットを、我が物顔に荒らし回ったZ432の心臓は、仮想敵ポルシェを目標に開発された、プリンスR380の強心臓を、ディチューン移植したものだった。

写真:S20型だがGT-Rからのもの。

 エンジンの名はS20型で、OHC4バルブだった…で、4バルブ・3キャブレター・2カムシャフトということから、Z432の名前が生まれた。

 1989cc/160馬力で、最高速度は210㌔…五速型ポルシェシンクロで上手にあやつれば、ゼロ400m加速を15.8秒で走りきるという、俊足ぶりだった。

 が、残念だったのは、排気ガス規制の対応がむずかしいとの判断で、1973年に240ZとZ432は、生産を中止した。

 この両車誕生の1969年には、丸善石油(現コスモ石油)のCMが話題となった…のちにトヨタのエース河合稔と結婚する売れっ子モデル、小川ローザの“Ohモウレツ”というキャッチコピーのCMだった。

写真:Ohモウレツの人気にあやかりコロンビアから出された45回転ドーナッツ版レコード。

 マリリンモンローの有名な写真がヒントなのか、疾走する車の風にあおられて、まくれたスカートが刺激的で、話題となったのだ。

 渥美清・倍賞千恵子・山田洋次のコンビ{男はつらいよ}の、第一作が生まれた年でもあった。

 VTRの開発着手が発表されて、ソニーのベータ方式、松下のVHSの一騎打ちが始まったのも、1969年だった…戦いの結末はVHSの勝利だった。

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