1995年、読売新聞の書評で、猪瀬直樹が褒めてくれた単行本{進駐軍時代の車達}が出版されて、暇ができたので、ラスベガスに出かけた。

 勘違いしないでください、わたしは博打嫌いだから…旅の目的はグランドキャニオンで、経由宿泊地が、LAとグランドキャニオンだったのだ。

 Gキャニオンは、自動車取材では無縁だったから、長年の願望だった。

 LAでは、日本人町を見学。有名なグローマン・チャイニーズ劇場前の敷石の、スターのサインと手形足形を見たり、日本人町に、で初日の一泊はハリウッドのホテルだった。

写真:グローマンチャイニーズ劇場&シナトラとジュリーアンドリュースのサインと手形足形/ゲイリークーパーやマリリンモンロー、ジョンウエインなど沢山あった。

 二泊目はラスベガス…取材がなく、ノンキな旅行のはずが、そうではなくなった。

 空港に出迎のガイドに「商売は自動車ジャーナリスト」というと、自動車博物館に案内してくれた…で、はからずも、休みのはずが仕事となった。

 インペリアルホテルという、カジノの五階にある博物館だった…博打で稼いで資金が潤沢なのだろう、立派で楽しいコレクションだった。

 プレスリーのキャデラック、サミーデイビスジュニアーのハーレイダビッドソン、ケネディー大統領のリンカーン、ウイルソン大統領のピアースアローなどなど。

写真:ウイルソン大統領のピアースアロー。

 圧巻は、超高級車デューセンバーグが、20台以上も並ぶ特別室…またムッソリーニ総統が愛人に贈ったアルファロメオ、ヒトラーのメルセデスベンツ540Kの隣には、総統の帽子まであった。

 三日目:待望のGキャニオンへ…わたしがパイロットだと知ると、ガイドが20人乗り双発セスナから「こっちの方が面白い」と、単発の七人乗りセスナ207に替えてくれた。小さいのに、少し高かった。

 パイロット+同乗者=イタリア人夫婦と娘、名古屋からの新婚銀行員夫婦、そして最後尾席に私…最後尾か~っ、コン畜生と思ったが、実は最良の席だった。

 胴体後部は細くなるので、椅子は一つ…で、写真を撮るのに両側の窓が使えたからだ。

 空港を飛び立ち、推測高度2000mほどで、1時間以上飛んで、Gキャニオン空港に着陸。

 雄大なGキャニオンでは「人懐こいリスに餌をやらないで」…噛まれるとエイズのような病気になる、と言われたが、愛くるしい目だった。

 その夜は、フラミンゴというホテルで、食事付きのショーを楽しんだ。

 街の表通りには、海賊船が戦いに破れて沈んでくなど、沢山のアトラクションが並び、それがタタで楽しめる。

 ラスベガスは、子連れで楽しめる、健康的な街だった…どうせだからと、博打もやってみた。

 MGMグランドホテル:体育館のような広いところに、スロットマシーンがずらり…そのマシーンの上には、現在86万ドルとか153万ドルとかの表示。ジャックポットの当たり金額で、射幸心を煽っているが、前の客が失った金額だった。

写真:MGMグランスロットマシーンがずらり。

 記憶では、昭和の大演歌歌手・田端義夫が百万ドル以上を当てて、数千万円の所得税を取られたという噂があった。

 本来は1ドル銀貨なのだが、客が持ち去るので、現在はサイズも目方も同じトークンと呼ぶ疑似貨幣を使う…20個が一本で、$20だった。

写真:1958年にベガス土産だと宮崎良樹がくれた1922年の1$銀貨&わたしが使ったルクソールの$1トークン。

 5本ほど買ったが、アッという間に4本が消えたので、1本を土産に持ち帰った。

 街を散策で、当時売れっ子アイドルの山瀬まみがいた…こんなところで、と思ったら、CMの撮影中だった。

 博打の街だから、ラスベガスは怖いと思っていた…マフィアが仕切る街と思っていたからだが「米国で一番安心な街だ」とホテルの支配人が言う。

「街を仕切っているのが警察より怖い連中」…大切な客に不安を持たせてはいけない、が彼らのモットーだからだと教えてくれた…1995年の話だ。

 旅行者に悪さをしたチンピラが行方不明になった…警察が発見したら、砂漠に埋められていた、と言っていた。

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