近ごろでは、原チャリやスクーターでもヘルメットが必要だ…安全のためとはいえ、面倒な世の中になったものだ。

 商売がら、不謹慎な発言を承知で…昔ノーヘルで、もろに風を受けながら走れた頃のオートバイは、解放感・爽快感にあふれていた。大学生の頃は学帽にアゴ紐で走っていた。

 ロードスターやコンバーティブルでも、風に髪をなびかせながらの、走りは最高だった。

 そんな時代、ヘルメットなどと言う物は、一般ドライバーには、馴染みがない被り物だった。

 さらに逆のぼり、馬や馬車だった19世紀末に、自動車が誕生した頃は、紳士も淑女も普段のシルクハットや山高帽やボンネットをそのままに、車に乗っていた。

 が、車が増えて、速度が速くなると、巻き上げる土ぼこりをかぶるので、長い裾のダスターコートなどが登場。

 頭の方も、普段の帽子では風に飛ばされるので、ハンチングやベレー帽などをかぶるようになる。

写真:米トーマスフライヤー1907年/明治41年=1908年ニューヨーク→パリ2万㌔という長丁場レースの優勝車/風に飛ばされぬよう被りものはハンチング風・観客はカンカン帽。

 が、やがて、幌つきや箱形登場で、この問題は解決するが、上半身むき出しのレーシングカーでは、風やホコリから目を守り、転倒時頭の保護のために登場したのが、WWⅠからの、飛行帽とゴーグルだった。

写真:革の飛行帽にゴーグル/ダイムラーとベンツのマークが並ぶので1926年合併直後のポスターだろう・

 1920年代は、もっぱらこのスタイルで、1930年代に入ると、何故か帽子は革でなく布製が多くなり、それに相変わらずのゴーグルだった。

 上空では気温が下がるから、防寒も兼ねての革製でも、自動車は軽い方が機能的と、布製になったのかも?。

 が、レースがWWⅡ後に再開されると、車は飛躍的に早くなり、衝突や事故時の衝撃が強くなり、布や革では、といことで、樹脂製ヘルメットが登場。

 はじめは、耳から上だけだったのが、すぐに耳までかぶるように…日本では、船橋サーキットの頃は、ほとんどがこのスタイルだった。

写真:ドライバーズミーティング/船橋サーキット&夏川かおる/名女優夏川静枝の娘で女優だがレースでも活躍した。

 そして、ヒサシがなくなったのは、ゴーグルの取り扱いが、面倒だったからなのかもしれない。

 直後の富士スピードウエイの頃は、ほとんどヒサシがなくなっていた。

写真:学習院大学生ボブハザウエイとロータスエリート/日本グランプリ/富士スピードウエイ・計時室からパチリ。

 ヘルメットは、さらに進化して口も覆う、フルフェイス型になる。

 フルフェイスが登場して、画期的進化と思えるのは、長年必需品だったゴーグルが不要になったことだった。

 ヘルメットに、プラスチックのシールドが取り付けられたからだ。

写真:マカオGPのクラシックカーレース・車はジャガー/1990年頃&更に進化したフルフェイス型ヘルメット。

 さて、日本初の本格的ヘルメットの登場は、公営ギャンブル解禁…川口オートレース場に納品されたものらしい。

 が、一般ドライバーには無縁だったが、1963年鈴鹿の日本グランプリ以降は必需品となった…ブラウン管TVの中を、鉄腕アトムが縦横無尽に飛びまわっていた。

 で、各地でレースやラリー、ジムカーナ開催で、ヘルメットは、一般的ドライバーに馴染みの用品となった。

 このヘルメット、日本ではアライが有名だが、予想外に古い店のようだ…内山駒吉が日本初の自動車を完成した1902年に、東京京橋に新井帽子店が開業した。

 そして1936年に、鉄カブトの製造を始めたのが、ヘルメット製造の第一歩だと考えられる。

 1952年、警察に納入するヘルメットの内側に、発泡スチロールを裏打ちしたのが、本格的自動車用ヘルメットの始まりで良いだろう…戦中から続くガソリン統制が廃止され、アルバイトサロンが登場した頃だった。

 戦後、我々がレースを始めた頃、アライを含めて日本製は信用ならなかったが、近ごろのアライは、世界が認める一級品となった。

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